「人間の人生、とにかく”よくなるようにできているのです”⁈💜」🎾🚴‍♀️🏸🏊🏓⚔️⚾⛳😎😍”

記事
コラム
💎まずは、工業製品の在り方の変遷についてです。(昭和時代~)

・”三種の神器”の出現(テレビ&洗濯機&冷蔵庫)
それぞれの役割が人間の手助けとなるものだったので
感謝の気持ちの表れとして神器という言葉が使われたと思っています。

・本格的”車”の出現です。
車のための区画整理、人間が歩く道から車が通行する道へ。
ですから街全体の様相が変わったのです。
これは大きな目に見える変化だったのです。
今は、当たり前になっていますが.....!
考えてみると、負の部分(リスク)を冒してでも
受け入れたことだったのです。
とにかく車に購入するということに関していろいろな付随事項と
いうことも受け入れたのです。
なぜならそれも含めて経済活動にプラスになるからだったのです。
要はとにかく何をするにしても車に乗ることを考えてというフィーリングの
人間社会になったのです。
別にそうではなくても生きられたはずですけど!

それから、もてはやされた工業製品としては、
FAX&固定電話(公衆電話)&ポケットベル&ウォークマン
インターネットデジタルの発展で
パソコン&携帯電話の時代へ そしてスマホ時代へ!

本来、工業製品というものは、
なければなくてどうにかなるものという製品でなければならないと思うのです。ですから、人によっては必要、必要でないということでなければならないと思うのです。
人間にとってはそういうフィーリングが持てるものが工業製品というもののはずです。

このスマホという工業製品が車社会に突入したときの状況に似ていると感じている次第です。
つまりは、何をするにしても、スマホを見てから~という時代に!
ましてコロナ禍において非常に役にたったからだとも思うのです。

この考えに立つと、
①スマホをきちんと扱える証明としての免許制度。
②スマホを歩きながら操作できる専用の道路作り。
③ガソリンスタンドに匹敵するスマホメンテの建物の建設。
④車販売店に匹敵するスマホ販売店の建設。
⑤その他スマホに必要と思われるアクセサリーとか雑貨販売店の建設。

スマホという工業製品は、誰でも使える製品ではないはずだからです。
何か中途半端というフィーリングをもっている次第です。
ジジイ―の独り言です。すみません!
車社会の到来と同じことになっているので、
上記記載の事は最低限必要と思っている次第です。
私もスマホが出現したときには、すべてが簡単にできてしまうという
錯覚フィーリングに陥ってしまったことを
今は後悔している次第です。
特に店に行っての買い物です。わたし、おカネというものを払わなくてもいいような錯覚に陥ってしまったことです。
昭和時代の商売のやり方と何ら変わっていないと感じています。
クレジットカードの出現がありました。
今のポイントというものも同じと感じています。
要は客の囲い込み策のはずです。
買い物は必要な商品をおカネというものを渡してその商品を受け取って帰る。
これ、当たりまえの行動のはずです。
店の人も買う人もお互いに感謝の気持ちを持っての接触というものが
人間の基本と思っています。
レジでの精算時に店の人とのちょっとした会話、つまり
難しい表現をすると情報交換ということになるのでしょうか!
今は、買い物自体は別にと思うのですが清算という事になると
お客が工業製品を使ってさらにバックまで準備して?
おカネも当然払う!何かおかしくないですか?
店側としては、お客さんの待ち時間も短くなる。
店の方も経費の縮小になる。何が皆さん楽しいのですか?
ナンチャッテ!だって時代がそうなっているんだもん!
しかし逆に暮らしにくくなっているというフィーリングのはずです。
だって、昭和時代にも問題になった、ゲーム課金での破滅が
続いているのでは?つまりは依存症のつけのはずです。
これは、車社会での負のできごとと同じ負のできごとと
感じている次第です。
この負の出来事にも勝るメリットというものがスマホにはあると思うのです。
私はそれがわからない人間なのです。すみません!
車には存在しました。荷物を運ぶ。人を運ぶ。道が整備されているので
ドライブできる。とか!
二酸化炭素による一部の自然破壊が表面化、つまりは大きな負の出来事です。
だからスマホの出現?
こう考えると、要は今はスマホという工業製品に対しての整備というものの
途中段階?だから何も変わっていないというフィーリングに私は
なっていると思っている次第です。
サラリーマン稼業も現実に顕在しているからだとも感じていることも
一因になっていると思っています。
負の出来事(心身に支障、ゲーム課金)にも勝るメリットを私は
感じないので、本格的スマホ社会にはなり得ないと感じています、
ただ、とにかく何をするにしてもスマホをとにかく使ってからという事は
車社会化と同じフィーリングですが、ただそれだけの工業製品と感じています。ですから、スマホ社会化にはなり得ないと思っている次第です。
それよりも、
これからやってくる本格的時代、社会化になるのは、
ロボット社会化「ロボット一家に一台!」と感じている次第です。
当然ロボットというのも工業製品のはずです。
私がイメージしているのは、今もあっていると思うのですが
テレビドラマの「家政婦は見た!」というドラマです。
昭和時代よく見ていました。
つまり、家政婦さんの仕事&役目、犬猫に代表されるペットの役目を
搭載したロボットです(搭載=AI)。
そのロボットを一家に一台の時代が来ると感じている次第です。
現実は、経済活動というものが昭和時代と変わっていない
正社員での共働きが中心の日本社会となっているはずです。
このロボットは、三種の神器に匹敵する工業製品と感じている次第です。
当然にネックの部分も感じている次第です。
幼少の子供が「びっくりしすぎて懐いてくれない⁈」という危惧です。
ナンチャッテ!!!
以上です!ジジイ―の独り言終わりです。すみません!!!

(昭和時代の私!)
私の世代(昭和33年)(西暦1958年)生まれです。
私の世代は、新人類と呼ばれました。22歳の時です。
「したいこと、好き💜!」を優先にして、
会社を選択して就職をしたからです。
しかし、これは正しくないフィーリングだったと気づいた次第です。
会社というところは、入社してみないと現実というものは
わからないところなのですから。
この体験があるので、インターネットデジタルのメリットとしては
各市町村のいろんな意味でのいい変化が起きていると実感しています。
ですから今の時代、「したいこと、好き💜!」を優先にして
それが日常できる市町村を選択して生活というものをスタートさせる
時代と感じている次第です。
その土地の会社に就職すればいいはずです。
その際の会社選択というものは、会社の「企業理念」というものに
共感(縁)して就職という事ができるあるいはベストな時代になったと感じている次第です。

また、私は、大学へは自宅からの通学をしました。
下宿という事も考えましたが....!
そして、会社に就職をしました。
初代サラリーマン生活の始まりとなりました。
住居は、会社所有のマンションの一部屋でした。
そこに独身所帯数人の生活のスタートとなりました。
当然、会社でも一緒ですが、ローテーションは違っていました。
昼&夕飯の食事は、「おふくろの店」というところで食事をしていた
記憶があります。値段も手ごろだったので....!
母親と娘さんの二人でまかなわれていました。
その娘さんは、田原俊彦さんの熱狂的なファンだった記憶があります。
そうこうしているうちに、アパートを借りて一人暮らしをスタートさせました。当然、マンションは出ました。
閑静な住宅地の中のアパートでした。不動産屋さんがとても親切な人だったと
記憶があります。もしかして店舗のお客さんだったかも?
市内電車からバスへの通勤手段の変更でもありました。
とにかく遅番早番のローテーションもあり、
アパートは帰って寝るだけの場所でした。
休みの日は一人で、あるいは同僚と休みが重なれば一緒に行動をしていました。出かける前は、洗濯機と格闘していたことも記憶にあります。
とにかく食事は、「おふくろの店」で!
食べたいと思った料理もこしらえてくれていた記憶もあります。
「おふくろの店」が休みの時は、安い中華料理の店に同僚と通っていたのを
覚えています。
時は、昭和時代の中期とも言うべき時でした。
海が近くだったので夏は海水浴によく行っていました。
店のお客さんとも知り合いになりよく行ったがいいというところも教えて
もらっていた記憶があります。
ところが社会全体の様子が様変わりする昭和後期というものを迎えるに至りました。そして、
バブル崩壊とともに結婚&子育てとなった次第です。
同時に、平成という時代を迎えることになったわけです。



💎本来の家族とは、五世代家族が普通の姿なのです!💎
五世代(祖父母、両親、子ども、孫、曾祖父母~曾孫)
日本国はこの家族の分断に着手をします。
いわゆる核家族化へ!国家権力を強めるためにです。
大家族のメリットというものは計り知れないという考え方があります。

(大家族のメリットとして!)
①家族に仕事を与えることができる。
誰かがきちんとしているからです。多人数なので!

②家族の中に会社勤めをしている人も当然います。
かりに突然のリストラ(解雇)に合っても家族の間で雑用でもすれば食べて行けるし会社に縛られるということもないという考え方です。
家族の中で生活できるという考え方です。
ですが盤石の家族という事が条件にはなりますが.....!
とにかく失業しても家族が面倒見切れるので失業保険というものが必要ないということにもなります。
医療保険くらいはあってもいいという考えにもなり、
生命保険というものは、意味がなくなるというわけです。
生命保険が命を弁償してくれるはずはないのですから!
日本という国は、生命保険の加入率が昭和の時代は高かったのです。
私たちが支払った保険料で保険会社は、一等地のビルを買って
投資に走り蓄財に血道をあげました。
これが行き過ぎての原因が大きいバブル経済崩壊というものでした。
土地の買いあさりによる土地の高騰という現象も起きていたという事です。
ですから住環境というものは今もそれほどいい方向に進んでいるとは
言えないはずです。
根本的なことにはいい方向への変化がないからと思っている次第です。
大家族をこわしたツケといえるとも感じています。
愚痴をいっても仕方のないこととは思っていますが!
そして、家族を崩壊してのつツケが、もう一つ。
それが昭和時代から現実にもなっていますが、弧人化現象と
言うものです。
今の時代、さらにこの現象が続いているという事です。
私たちが日々考えていることは、
海外の事ではなくあるいは国の事、社会の事、会社の事
会社の事は仕方のないことでもありますが
本来は会社のことも脇に置いといて、自分&パートナー&子供&両親
とか家族の事だけを考えているのが正しいという事です。
家族が出発点という事です。
家族以外の事に集中してしまうから、自ずと問題が起きるという事です。
”しかと”することなのです。
日本人の出生率(合計特殊修正率)は、1.29人です。(平成16年)
コロナ禍で余計に子育てをしない大人がさらに増えているという
現実となっているという事です。


💎日本人の本来の労働の姿とは!💎 
日本人は、農耕民族です。
ですから労働が喜びとなるのは、農耕の場に限ってという事です。
野良に出て働くのは、お父さん、お母さんですが
子供たちも一緒についていって自然の中で遊んでいます。
午前中のひと仕事を終えたら、持ってきたお弁当を広げて
家族で団欒(だんらん)の昼食となります。
その間、お父さん、お母さんは子供たちにさまざまな生きる知恵を語って
聞かせます。
夜の帳(とばり)がおりてきたら
家族は家路をたどり、帰宅後は祖父母も交えて夕食を取り、
その後はおじいちゃん、おばあちゃんが子供たちに
村の歴史や伝承など興味深い話を問わずに語るうちに夜は更けていくのです。
一日はそんなふうに過ぎていくのです。
ここでは労働の場が子育ての場所であり、教育の場、遊びの場でもあるのです。生活の全てが一つの世界で渾然一体となっているのです。
労働が喜びであるのはこのような状況でしかありえないという事です。
ですから、現在の労働というのは、
働くのは会社、いわゆる会社勤め、教育の場は学校、
遊びの場は、昭和時代の後期には、自室のテレビの前でのテレビゲーム
今は、スマホゲームを至るところで......⁈
働くことが喜びになるという分けがないのです。
働く状況がすっかり変わってしまっているのですから.....!

特に会社勤めということに関しては、
自分らしく生きる(人間らしく生きる!)ために必要なフィーリングが必要と
感じている次第です。
昭和時代&平成時代&令和時代、私も会社勤めをしていたからです。
それは今も会社勤めというものが経済活動の中心になっているからです。
国は、子育て中心の社会化にする必要性があり、
資源大国(レアアース)にする必要があるのでは.....!と
感じている次第です。


💎それでは、自分らしく生きる(人間らしく生きる)ために
必要なフィーリングとは!!

①人生においての魔法の杖となるフィーリングの身に付け⁈💜」
(自分とってプラスになること)(偶然の出来事&出会い)を人生に
呼び込むコツというものがあります。
それは、「本当に自分が好きな事をとにかくやって生きるという事です」
「自分のハートを追いかける」といってもいい過ぎではありません。
頭でいろいろ考えずに直感というものに従って行動するという事です。
孤独を楽しむという事にもつながることなのです。
好きな事だけをやるというのは、どうも日本人には無責任と感じてしまうのです。わがままと判断してしてしまって自己規制、世間由というどうでもいいことにするのが日本人という事です。いいか悪いかは別としてです。
しかし、これだけはいえると思うのです。
好きな事をやっていると、何といろんな面でいいことが起こるのです。
例えば、好きな事をやる事態が人を元気にするし、
少々の風邪でもいっぺんで治るし、さらにいろんなアイデアが
泉のように次から次へと出てきて何と魅力的な人間へとつながるのです。

大人の唯一の責任というものは、
「自分が好きな事を自分にさせてあげる」ということだと思っています。
嫌いな事をやはり無理にするという事自体が
自分への虐待行為と考えます。
このフィーリングになることを日常的にしていると
人間どうなるかお分かりですよね!
一番大切な「幸せフィーリング」を持つことは永遠にないという事です。
故に好きな事には魔法があるという事です。
得意な事を真剣にやり続けると自分では予想もしなかったことが
起きるのです。
人から好かれる、あるいは迷惑料としておカネが回ってくるとかです。
一日5分でも好きな事、楽しくなれること、得意と思えることを....!
実行することです。
本当は好きな事なのに普段やっていない事とは?
やれてない人は、もう一人の自分に問いかけてみましょう!!!
必ずシンクロニシティーが.....💜!!!


②孔子の言うところの「面従腹背の勘所」というフィーリングの身に付け!
・家族への帰属意識を持つこと
・自分由(自分基準)になること
・家族も自分も神様仏様からの預かり物という考え方(フィーリング)
を持つこと
・世間&社会はおかげさまフィーリングで成り立っています。
・人生に意味などありません。
(人は生まれ苦しんで死んでいくという歴史を得ていくだけの存在
だからです。)
・世の中の活用利用できると思ったことは活用利用尽くすという事。
権利は主張して義務からは逃げる、それでいいのです。
人間関係、世間というのは嘘っぱちの世界だからです。
・絶対にどんなことがあっても自分を嫌ってはいけません。
感情コントロールをお忘れなく!(軽く深呼吸をして下さい!)
自分で自分をお気にいりにして下さい。
もう一人の自分と会話してください。
・家族&仲間と思える人には、あなたはあなたであっていいというフィーリングになることです。
つまりは、絶対に嘘&隠し事はご法度という事です。
それ以外の人には、逆に心の中で、指弾続けることです。
会社勤めに慣れてきたと思ったら、
上司とかに対しても心の中では、
「あんたの管理が行き届いていないからそうなるんだろうが
フザケルナ!お門違いだろう!」と。心の中でですよ!
しかし、パワハラ上司に対しては理屈不要!
「大きな声でののしることです。だって
自分の事しか考えていなくて生まれながらに身についているプライドを
気づつけるのですから平気で!」これ、ホント自分のためなのです!
・どんな状況に置かれても
「こうなってよったね!」というフィーリングを持つことです。
そうすると今のポジションならではの自分の楽しみというものが
見つかるからです。
これは試すには損しないと思っている次第です。
・少欲知足フィーリングを持つことです。
さらに金銭感覚を身に着けることも!
確実に必要なこと&ものにおカネは適用するものなのです。
ただ単に欲しいは卒業しましょう!
・会社と自分の関係フィーリング!
自分(ペットの飼い主)& 会社(ペット化すること)
・会社では絶対に自分の良心は売り渡してはいけないという事です。
理不尽とわかっていて受け入れるという事が良心を売り渡すという事です。
しかし、これはどうでしょう?
程度によりけりという部分は今も存在しているのでは?
あまりにも妥協、納得できないことと思ったことには良心を
売り渡さないようにする工夫が必要ということです。


③地震というものに対するフィーリングの身に付け!
日本は、「地震大国」と認識する必要があると思っている次第です。
まず、大地震予知が可能になって役に立つ予知というのは、
「今日の午後三時二十分に大地震が発生しますから、外出を避けて
家でリュックを抱えていて下さい!」という超具体的な事前情報を出せる状況になった時だけと思うのです。
だからといって、大地震に対する備えをしなくてもいいということを
言っているのではありません。
行政です。
行政は、綿密に準備をしておくべきと言っているのです。
シュミレーションを行い、
物資をどのルートで運ぶか、火災対策はどうするか
医療サービスはどうするかなど
およそ想定されることに対しての策をできうる限り立てておかなければいけないという事を言っているのです。
クールな言い方ですがこれはまともな事と思っている次第です。
そのための税金ともいえると思っている次第です。
個人は何もする必要がないというか、できないと思うのです。
ですから、行政が迅速に動けば食料も水も、ヘリコプターを飛ばせば
造作もないことと思っている次第です。
懐中電灯やラジオにしても、他府県から提供してもらう算段をつけておけば
不自由はしないはずです。
老後についても行政にしてもらわなければ困ることはたくさんあると思うのです。私たちひとりひとりが考えること、やることはないといっても過言では
ないはずです。
さらに家はなくなってもローンは残るという現象にもなります。
結果、今を少しでも楽しく生きるという事でいいはずですし
これしかないはずです。

④ローン返済というのは地獄というフィーリングの身に付け!
マイホームというものです。
おカネに余力があれば別に構わないとは思っています。
しかし、日本という国は、昔から家は、「ウサギ小屋で!」で
構わないというフィーリングがある国と思っている次第です。
ですから、マイホームを持つというのは、イコール
おカネに対してローンを組むという事に繋がる経済様式
&通勤時間片道二時間はザラという図式になっているのが日本という国なのです。今も変わっていないはずです。これも昭和時代です。
これに伴っての日本人の日々のライフスタイルというものは、
お父さんは朝子供たちが寝ている間に朝食もそこそこにして家を出る。
お母さんは、子ども達を送り出すと、ローン返済のためにパートに出ます。
子ども達が学校から帰ってきても迎えるお母さんはいません。
これ、マイホームのためのローン返済に限っての事ではなく
多くの日本人がこのパターンだったのです。
さらに、夕食は、パートのお母さんが勤め先のスーパーから
割引商品を買っての出来合いの総菜で済ませ
こどもたちが部屋に引っ込んだころようやく通勤地獄でクタクタの
お父さんのご帰還という分けです。
疲れ果てている夫婦の会話はなし!風呂に入ってバタンキュー!
幸せのマイホームで展開される現実です。
それぞれが孤独で家族の絆はおざなりという現象を招いたという事です。
何かおかしい!という結果になっていると思われませんか?
会社からほどほどに近い、マンションや借家暮らしでは?
朝も夜も家族全員で食卓を囲めるし、夫婦間の会話もそして
子供とのコミュニケーションも!ナンチャッテ!
いろいろあるのが人間、思い通りにいかなくてもいずれ
策を講じるのが人間と思っている次第です。
しかし、地震で家がなくなってもローンは残るのが現実?


(その他)
①四苦八苦(しくはっく)というものが存在することを理解しましょう!
つまり、八つの苦が存在するという事です。
まずは、四つの苦しみ「生老病死」(しょうろうびょうし)
生きる、老いる、病気になる、死んでいくという四つの苦です。

そして、もう四つの苦とは、
「愛別離苦」(あいべつりく)
いくら愛する人でも別れなければならない時が来ます。
ですから、できることをする、それは、別れの時がくるまで、
精一杯に相手を愛し、思いやることをするという事です。

「怨憎会苦」(おんぞうえく)
恨み、憎さ百倍の相手に会わなければならないということもあるはずです。
会う事を避けるのは思い通りになることなのでそれを行えばいいのです。
しかし、どうしても避けられない条件が存在するならば、
あれこれ考えずに「ええい、大丈夫何とかなる!」とその場に臨めばいいのです。自分のためなのですから。

「求不得苦」(きゅうふとっく)
求めるものが得られないという苦しみは誰もが味わっていることと思います。
「あいつが課長に昇進をした。俺もなんとか課長になりたい」とイラつき
悶々(もんもん)とした日を送るなどはまさにこのフィーリングなのです。
もっと思い通りになることをすれば苦しむことなどないのに....!
五時になったら迷わずに退社する。
思い通りになることというフィーリングです。
つまり、思い通りになることはいくつもあるはずです。ですから、
この苦に翻弄されることはないという事です。
ですから、前もっていろんな事に対して、
思い通りになることと、ならないことの認識をしておくという事です。

「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)
心も体も思い通りにならないから人間苦しむという状態に
なります。
思い通りにならないことは、ほっとくに限るという事です。
「気にしない! 気にしない!~」💜


②「親孝行」そして、「親から子への孝」もあることを理解しましょう!
親の子に対する「孝」とは、子供を育てることです。


③おじいちゃん&おばあちゃんという存在の本来の在り方を理解しましょう!
「おばあさん」という存在が成立するのは、
人間とゴンドウクジラだけだそうです。
他の動物は、子供を埋めなくなったメスは死んでしまいます。
おばあさんというのは存在しないわけです。
それでは、おじいさんはというとこれも生物学的には存在しません。
オスには、一応いつまでも子供を産ませる能力があるとされていますので
オスとして生き続けられるという事です。
人間の女性は、子供が産めなくなっても生き続けられます。
女性からおばあちゃんというものになります。
ゴンドウクジラもそうですが、
なぜおばあさんとして生きられるのでしょうか?
それは、子育てという役目を担うからなのです。
その子育て支援があるから、母親は子育て期間にもまた、
赤ん坊を生むことができるということなのです。
現実は、国は家族を壊し核家族となり、自ずと弧人化現象社会に
なっているという事です。
自然と子供を産むことはもちろん、夫婦二人の家庭を作ることもしない
孤独、弧人ばかりになるという予想通りの現象になっているという事です。
コロナ禍が一層拍車をかけた様相になっていると感じています。
そして、「スマホ依存症!」がさらに拍車となっていると思っています。
別にいい悪いという事ではなくてです。
現実をフィーリング的に掴む、把握するという事は
自分らしい生き方をするのに必要なことのはずです。


④「心配またよし!」という事を理解しましょう!
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば
この世の中は、まことに安泰で結構な事でもありますが、
現実的には?
人生常に何かの心配があり、憂いがあり、恐れがあるのが正常なここと
思うのです。
しかし、本当のところはないにこしたことはないというのが人間のホンネと思うのです。
人生の脅威とも言うべきものを懸命にひたすら乗り切って
刻々と事なきを得ていくというところに、
人間としての大きな生きがいが生まれ覚えて、
人生の深い味わいというものを感じることができると思うのです。
これが大事だと思うのです。
この心構えがなければ、この世の中、ただ呪わしく、人生はただいたずらに
暗黒ということになってしまうからです。
「依存症」というのは、世の中を暗黒にしてしまうのです。
また、有事に直面しても恐れてはいけません。
つまりは、”心配またよし”というフィーリングです。
「諸行無常」のフィーリングです。
心配や憂い事というものは、新しくものを考え出す一つの転機に代える
ことだと思うのです。
そういうフィーリングをもって、思い直して、
正々堂々と取り組む、力を絞る、知恵を絞る、するとそこから
思いもかけぬ新しいものが生み出されるのです。
つまり、新しい道が開けてくるという事です。
人間の不思議ですが、言い換えればこの不思議さがあればこそ
人の世の味わいというものが限りなく深いといえると感じている次第です。


💜皆さんに幸あれ~💜!!!












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