「読んでいるとなぜか気持ちが”ホッコリ”に~⁈💜Ⅰ」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🏸🤿⛳😎😍

記事
コラム
💜つまり、これは、「心を科学する」という事に繋がっていると思うのです。💜

💎道!

自分には、自分に与えられた道というものが存在します。
天与の尊い道です。
どんな道かは知らないけれども、他の人には歩めない道です。
自分だけにしか歩めない道です。
二度と歩めないかけがえのない道です。
広い時も、せまい時も、登りもあればくだりもあります。
坦々としたときもあれば、かき分け汗するときもあります。
この道がはたしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあります。
慰めを求めたくなるときもあります。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか!
あきらめというのではなく、
今立っているこの道、今歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことです。
自分だけしか歩めない道、自分だけに与えられているかけがえのない道。
他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても
道は、少しも開けません。
道を開くためには、まず歩ばねばなりません。
心を定めて、懸命に歩ばねばなりません。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは、
必ず新たな道が開けてきます。同時に、
深い喜びも生まれてくるのです。


💎国の道!

人は、さまざまです。
だからさまざまな人生があり、さまざまな人の歩む道があります。
そのいずれの道であろうとも、
たとえそれがひっそりとした道であろうとも
それぞれの道をそれぞれに切り開いていくことは決して容易ではありません。
人おのおの精一杯の心根がそれぞれにこもらねばなりません。
ぼんやりしていては、道は開けません。
他人任せでは、道は開けません。

しかし、もっと容易ではないのは、いわゆる国として、国家としての道を
切り開いていくことではないでしょうか!
いかに我が道を開く精進を重ねても、国としての道が開けていなければ、
所詮は、それは砂上の楼閣。
誰かが、何とかしてくれるだろうでは、誰もなんともしてくれません。
人の歩む道も国の歩む道も結局同じことのはずです。
ぼんやりしていては、道は開けません。
他人任せでは開けません。
つまりは、われ他人とともに懸命に考えて、
我が道を開く如くに、国の道を開かねばなりません。
そうしなければならないのが、民主主義で、
またそれができるのも民主主義なのです。
お互いに三省(さんせい)してみたいものです。

※三省(さんせい)とは、日に何度となくわが身を反省して、自らを戒める事という意味合いです。


💎政治という仕事!

どんな仕事でも、それはみんなが共存していくためにあるもので、
ひとつの仕事は、他の仕事に繫がり、
それが繋がって世の中が動いています。
だから、自分ひとりの都合だけで、その仕事を勝手に左右することは、
みんなに迷惑をかけ、道義的にも許されるわけがありません。
自分の仕事とは、自分のものであって、同時に自分のものではないのです。
中でも政治という仕事は、一億国民に直接のつながりを持っていて、
その良否は、たちまち国民の幸不幸を左右してしまいます。
それだけに、政治という仕事は、もっと尊ばれて、政治家は、もっと優遇されていいと思うのです。

だが実際は!
先日のある放送で「大きくなったら何になる?」というアナウンサーの問いに
対して、一小学生が
「僕は喧嘩が弱いから政治家にはなれない」と無邪気に答えています。
これを笑って聞くものは、自分で自分の幸福を葬っているといえると思います。
政治という仕事が軽視され、政治家が尊敬を受けないような国が
繫栄するわけがありません。
この責任は、誰にあるのでしょう!
選んだ国民側にあるのでしょうか? 
選ばれた政治家の側にあるのでしょうか?


💎求めずして!

”苦しい時の神頼み”というけれど、
お互い人間、困って悩んでセッパ詰まれば、やはり、
思わず手をあわせ、神仏に祈りたいような気持になってきます。
「どうかお頼み申します、どうかこの願いをお聞き届け下さい」
いろいろさまざまのねぎらいやら求めに、神仏も大変と思います。
人情として、これもやむをえないとはいうものの、
それにしてもお互いにあまりにも、求めすぎていると思うのですが!
頼みすぎてはいないか! 頼り過ぎてはいないか!という事です。

手を合わすという姿は、ほんとうは神仏の前に己を正して、
自らの過ちをより少なくすることを心に期すためです。
頼むのではないのです。求めるのではないのです。
求めずして、自らを正す姿が手を合わす真の敬虔(けいけん)な姿と
いえると思います。
これは、別に神仏に限ったことではありません。
日々の暮らしでも、
あまりにも他を頼みにし、他に求めすぎてはいないか!
求めずして己を正す態度というものを今少し養ってみたいものです。
個人としても、団体としても、また、国家としても!
そこに人間としての、
また国家としての真の自主独立の姿があると思うのですが.....。

※敬虔(けいけん)とは、うやまい慎むという意味合いの言葉です。


💎ダムの心得!

雨が降る。山に降る。
降った雨は地にしみこみ、谷水となり、川となり
平野を潤して海に流れます。
この流れがうまくいけばよいけれど
ちょっと狂えば洪水となり、また反対に干ばつとなります。
流しっぱなし、使いっぱなしの結果です。
そこでダムを考えます。
流しっぱなしをせきとめて、せきとめたその水を有効に使う。
ゆとりをもって適時適切に放出する。
人間の知恵の進歩です。

川にダムが必要なように、暮らしにもダムが欲しいものです。
物心ともにダムが欲しい。
ダラダラと流れっぱなし、使いっぱなしの暮らしでは、
まことに知恵のない話です。
大河は大河なりに、小川は小川なりに、
それぞれに応じたダムができるように
人それぞれに、さまざまな知恵を働かせれば、
さまざまなダムが出来上がるはずです。
個人の暮らしの上だけではありません。
商売の上にも、事業の経営の上にも、このダムの心得がぜひ欲しいものです。
そして、さらに大事なことは、国家の運営にあたっても、
このダムをぜひ作ってほしいものです。
国家と国民の安定した真の繁栄のために!


💎ピンとくる!

人間の体の仕組みは、実に複雑にそして実に巧みにできています。
神のみがなしうることかもしれませんが、
人工衛星の構造がいくら複雑だと言ってみても、
所詮、人体の神秘さにはかなわないはずです。
見方によっては、宇宙の広大さ、神秘さが、そのまま
人間の体に再現されているといってもいいと思うのです。
それほどに複雑で、それほどに大きいのです。
にもかかわらず、足の先を針の先でちょっとつついても
頭にすぐピンとくるのです。
すみずみにまで、神経が細かく行き届いていて、
どんなところのどんな小さな変化でも、間髪を入れず頭に知らせる。
だから、機敏にして適切な行動もとれるわけです。
人と人とが相よって作った組織。
商店、会社、いろいろの団体。
一番大きいのが国家の組織です。
それらの末端をちょっとつついても、
すぐにピンとくるかどうか?
間髪入れずの反応が示せるかどうか?
合理化といい生産性の向上といっても、
本当は、この間髪入れずの反応が示せる体制から生まれてくるのです。
本当の意義は、このピンにあるのです。
おたがいに、もう一度思いをめぐらしたいものです。
会社も商店も、そして一番大切な国家についても。


💎カンを働かす!

剣をもって相向かう。
緊張した一瞬、白刃がキラめいて、打ち込む、はねる、とびすさる。
目にもとまらぬ早業です。
そこには理屈はありません。
相手の刃が右手から来た、だから、これを右に跳ね返そう、などとひとつひとつ考えて打ち合っているのではないのです。
目に見えぬ気配から、からだ全体にひらめく一瞬のカンで
とっさの動きが決まって行きます。
しかもそれは、理屈で考えた以上の正確さ、的確さを持っているのです。
カンというと、一般的には、何となく非科学的であいまいなもののように思われるけれども、
修練に修練を積み重ねたところから生まれるカンというものは
科学でも及ばぬほどの正確性、適確性を持っているのです。
そこに人間の修練の尊さがあるのです。
世に言われる化学的な発明発見の多くのものは、
科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて
そのカンを原理付け実用化するところから生み出されているものです。
つまり、科学とカンは、本来決して相反しないものなのです。
要は、修練です。練磨です。
カンを働かすことをもっと大切にして、さらに修練を積み重ねたいものです。


💎追求する!

月に向けてロケットを発射する。
轟音とともにたちまち天空高く飛び立って、
もはや人間の目には届きません。
しかし、追跡装置が完備していて、どこまでもこれを追います。
何千キロ、何万キロと、月の表面に至るまで、刻々とこれを追います。
追求します。
だからこそ、ロケット発射の意義があるのです。成果があるのです。
追求しなければ何の意味もないのです。
射ちっぱなし、消えっぱなしでは、浪費以外の何物でもないのです。
人間社会の人間同士の間でもこれと同じことです。
人が人に事を命じる、指示する、頼みごとをする。
しかし、命じっぱなし、指示しっぱなし、頼みっぱなしでは、
何の意味もないという事です。何の成果も上がらないという事です。
命じたからには、これを追求しなければなりません。
どこまでもトコトン追求しなければならないのです。
それが命じたものの責任ある態度というもののはずです。
追求される方も容易ではありませんが、
追求する方も大変なのです。
ロケットを追跡する以上の配慮が必要となります。
根気も必要となります。
しかし、ともすればあいまいにすごしがちな日々になったりします。
追求する方もされる方も、おたがいにこれほどの覚悟というものを持ちたいものです。また、勇気をも持ちたいものです。


💎真実を知る!

人間は、ものの見方一つで、どんな事にも耐えることができます。
どんなつらいことでも辛抱できます。
のみならず、いやな事でも明るくすることができます。
つらいことでも楽しいものにすることができるのです。
みな、心持ちひとつ、ものの見方一つです。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、この心持ちひとつにあると思うのです。
そうとすれば人生において絶望することなどひとつもないと思われませんか。

ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、
人間は、真実を知らねばならないし、
また、真実を教えなければならないのです。
つまりは、物事の実相(じっそう)を知らなければならないのです。
もちろん情愛は大切です。
だが、”かわいそう”とか、”つらかろう”とか考えて、
情愛に流されて真実を言わないのは、本当の情愛ではないはずです。
不幸とは、実相を知らないことです。真実を知らないことです。
人間は、本当は偉大な生き物です。
真実に直面すれば、かえって、大悟徹底(だいごてってい)して、
落ち着いた心境になるものです。
だからお互いに正しいものの見方を持つために、
素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものです。

※大悟徹底(だいごてってい)とは、
真理の奥底に達して、一点の疑惑もない事を意味します。


💎働き方の工夫!

額に汗して働く姿は尊いです。
だがいつまでも額に汗して働くのは、知恵のない話です。
それは、東海道を汽車にも乗らずにやはり昔と同じようにテクテク
歩いている姿に等しいものです。
東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ
そして汽車から飛行機へと、日を追って進んでいます。
それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿です。
そして、そこに、人間生活の進歩の跡が見られるはずです。
人より一時間、余計に働くことは尊いものです。
努力であり、勤勉であるといえると思います。
「今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果を
上げるという事もまた、尊いものなのです。」
そこに人間の働き方の進歩があるのではないでしょうか。
それは創意がなくてはできません。工夫がなくてはできません。
働くことは尊いことですが、その働きには、工夫が必要なのです。
創意が欲しいのです。
額に汗することを例えるのもいいですが、
額に汗のない涼しい姿も唱えるべきではないでしょうか。
怠けろというのではないのです。
楽をする工夫をしなさいという事です。
楽々と働いて、なお素晴らしい成果が上げられる働き方を
おたがいにもっと工夫すればという事です。
そこから社会の繁栄も生まれてくるからです。


💎自分の非!

人間は、神様ではないのだから、
一点の非の打ちどころのない振る舞いなどとうてい望めない事ことで、
ときにあやまち、ときに失敗します。
それはそれでいいのですが、大切なことは、
いついかなる時でも、その自分の非を素直に自覚し、
これにいつでも準ずるだけの強い覚悟を持っているという事だけです。

それにしても、近頃の人間はあまりにも脆(もろ)すぎると感じています。
修練が足りないというか、素直に自分の非を認めずに逆に何かと抗弁を
したがります。
そして、出処進退を誤り、身の置き所を見失ってしまう。
とどのつまりが自暴自棄になって、自分も傷つき他人も傷つけてしまう。
これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがありません。
自分の非を素直に認め、いつでもこれに準ずる
この心構えを、常日頃からお互いに十分に養っておきたいものです。


💎ファンがある!

ファンというものはありがたいものです。
相手のどこかに、自分の好む良さを見つけて、
その良さにただ懸命に応援するのです。
だから、スポーツ人でも芸能人でも、自分のファンは、とても大事にするし
そのファンの期待に応えるべく、自分の良さをより一層伸ばすために
日夜精進を重ねるのです。
そこに、スポーツ人、芸能人の向上の大きな励みがあるのだし、
ひいてはスポーツ界、芸能界の発展の一つの大きな要素があります。
考えてみれば、私たちにもファンがあります。
個人にも、お店にも、会社にも、それぞれにそれぞれのファンというものが
あるのです。
そして、陰に陽に力強い声援が送られるのです。
お互いに、この事実を改めて認識しなおしたいですね!
そして、このありがたい自分のファンを、
もっと大切にして、その好まれている自分の良さを
精一杯に伸ばすように努めたいものです。
そこに、個人の、お店の、そして会社の繁栄のカギがあるのです。


💎熱意をもって!

経営というものは不思議なものです。
仕事というものも、不思議なものです。
何十年やっても不思議なものです。
それは底なしほどに深く限りがないほどに広いものです。
いくらでも考え方があり、いくらでもやり方があるのです。

もう考え尽くされたと思われる服飾のデザインが、
今日もなお行き詰まっていないのです。
次々と新しくなり、次々と変化しています。
そして、進歩していくのです。
ちょっと考え方が変われば、たちまち新しいデザインが生れてきます。
経営とは、仕事は、たとえればこんなもんです。

しかし、人に熱意がなかったら、経営の、そして、仕事の神秘さは
消え失せます。
何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかせます。
階段を作り上げます。
上がっても上がらなくても、とそう考えている人の頭からは、
ハシゴは、出てきません。
才能がハシゴを作るのではなくて熱意です。
不思議なこの経営を、この仕事を
お互いに熱意をもって懸命に考え抜きたいものです。
やりぬきたいものなのです。


💎まねる!

徳川家康という人は、ずいぶんえらい人であった。
人によっては、好き嫌いもあるかもしれないが
ともかく天下を安定させて、三百年の治世の基礎を築きました。
どこかにすぐれたところがあったに違いありません。
だからこそ、徳川家康ブームと言われるほどに、その小説が読まれ、
愛好されたのです。

しかし、家康が偉いからと言って、そのままこれをまねようとするのは、
これはいささか見当違いです。というより
見当違いも甚だしいのです。
家康なればこそあの道が歩めたのです。
たとえ家康以上の人物があったとしても、まねる心だけではおそらく
道を誤ります。
物を覚えることは、まねることから始まります。
こどもの歩みを見てもよくわかります。
しかし、ウリのつるには、ナスはなりません。
柿の種をまけば、柿がなり、梅の木には梅の花が咲きます。
人もまた違っています。
柿の如く梅の如く、人それぞれに人それぞれの特質があるのです。
大事なことは、自分のその特質をハッキリと自覚認識していることです。
その「自主性」が欲しいのです。
まねるという事は、自主性の上に立ってのことのはずです。


💎体験の上に!

ここに非常な水泳の名人がいるとします。
そしてこの名人から、いかにすれば水泳が上達するかという
講義を聞くとします。
かりに三年間、休まず怠らず、微(び)に入り細(さい)に渡って
懇切丁寧に講義を受けて、
水泳の理を教えられ、泳ぎの心がけを聞かされる。
それでめでたく卒業の許しを得たとします。
だがはたして、それだけで実際に直ちに泳ぎができるでしょうか?

いかに成績優秀な生徒でも、それだけですぐさま水に放り込まれたら
どうなるでしょう。
たちまち、ブクブク疑いなしです。
講義を聴くだけでは泳げません。
やはり、実際にこの体を水につけなければなりません。
そして、涙のこぼれるような不覚の水も飲まなければなりません。
ときには、死ぬほどの思いもしなければならないと思います。
そうしてこそ、水に浮けるし、泳ぎも身につくという事です。
体験の尊さというものは、ここにあるわけです。
教えの手引きは、この体験の上に生かされるのです。
単に教えを聞くだけで、何事もなしうるような錯覚は
慎みたいと思います。


💎恵まれている!

人間というものは、まことに勝手なもので、
他人をうらやみ、そねむことがあっても
自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには、
案外、気の付かないことが多いものです。

だからちょっとしたことにも
すぐに不平が出るし、不満を持つものですが
不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわかないはずです。
そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も
これを自覚しないままに、いつの間にか自分の手でこわして
しまいがちになるのです。

恵みに対して感謝をして、その感謝の心で生き生きと働いたならば
次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなに幸せな暮らしができることか
思えば愚かな事です。

だが恵みを知ることは、そう容易なことではないのです。
頭では理解していても、心には直接響かないからです。
ここに、人間の弱さがあるのです。
ですから、「日常の立ち居振る舞いに、今一度の反省を加えてみましょう。」


💎日本よい国!

花が散って、若葉が燃えて、目の覚めるような緑の山野に
目の覚めるような青空が続いている。
身軽な装いに、薫風が心地良く吹き抜け、かわいい子供の喜びの声の彼方に
鯉のぼりがハタハタと泳いでいます。
五月です。初夏です。
そしてこの季節にもまた日本の自然の良さが生き生きと脈うっているのです。春があって夏があって、秋があって冬があって.....!
日本は、よい国なのです!
自然だけではない、風土だけではない。
長い歴史に育くまれた数多くの精神的遺産があります。
その上に、天与の優れた国民的素質。
勤勉にして誠実な国民性。

日本は、よい国です。
こんなよい国は、世界には見当たりません。
だから、このよい国をさらによくして、みんなが仲良く
身も心も豊かに暮らしたいものです。

よいものがあっても、そのよさを知らなければ、それは
無きに等しいのです。どういうわけか、
もう一度この国のよさを見直してみたいと感じている次第です。
そして、日本人としての誇りを、お互いに持ち直してみたいと
感じている昨今なのです。


(追伸)
ただ一人だけの小さな幸せに満足することなく
おたがいにこの国日本を満たす
大きな夢と確固とした志を持たねばなりません!
長い伝統に培われた日本人本来の高い精神と
私たちが今日までに蓄えてきた自立力とを
いまこそ、新たな時代にふさわしい、新たな姿で
政治や経済、教育や文化に、正しく蘇らせるべきです。
日本を生き生きとした民主主義の国にするために
この世界に、より大きな幸せをもたらすために......!
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