以前「気づかなかった父親からの承認」について書いたことがあります。今回は少し違う角度から、父親との関係を振り返ってみたいと思います。すでに起きていた承認に気づく話ではなく、今回は「褒められたくて、無意識にやっていたこと」についてです。
バスの中で道を覚えようとしていました
小学校低学年の頃、遠足に行くたびに、僕はある行動をしていました。バスに乗って目的地へ向かう間、誰とも話さず、窓の外をじっと見ながら、目的地までの道順を覚えようとしていました。
なぜそんなことをしていたのか、その理由が、自分でもずっと分かりませんでした。ただ、そういう記憶があるだけでした。
今、父ちゃんとの関係を文章にして、読み返していると、思い当たることがあります。僕の父ちゃんは、方向感覚がとても優れていて、一度通った道は、すべて覚えているような人でした。沖縄県内の道なら、東西南北を意識して、どんな細い道でも裏道でも、すでに知っている道とつなげて、覚えていたようでした。父ちゃんの車に乗っているとき「今走っているのは、東か西か?」と、突然聞かれたこともあります。
もしかしたら、僕は、あの父ちゃんの姿を見て「道順を覚えられたら、褒めてもらえるかもしれない」と、子供心に思っていたのかもしれません。実際に褒められた記憶は、残念ながらありません。それでも、遠足から帰って来て「今日は、こういう道を通って、どこどこに着いたよ」と話せたら、父ちゃんが喜んでくれるんじゃないか。そんな期待を抱いて、バスの中で黙って道順を覚えていた自分の姿が、今なら想像できます。
やっぱり褒められたかった?
同じような動機は、他にもあったのではないかと思っています。
例えば、英語の勉強です。父ちゃんが子供たちのために買ってくれた「トーキングカード」という道具がきっかけで、僕は英語に触れるようになりました。当時はまったく意味が分からないまま、機械に何度もカードを通して、短い英語の音を繰り返し聞いていただけです。それでも、その後も英語の勉強をやめることはありませんでした。
大学受験に失敗して上京したときも、NHKラジオの基礎英語を聞き直すところから、また始めました。その後、英検1級に合格し、英語の通訳の仕事にも就くことができました。振り返ってみると、この道のりのどこかに、「英語ができるようになったら、父ちゃんに認めてもらえるかもしれない」という気持ちが、ずっと流れていたような気がします。
道順を覚えること。英語を勉強し続けること。バラバラに見える2つの行動ですが、その奥には「父ちゃんに褒めてもらいたい」という、同じ動機が隠れていたのではないか。今ではそんなふうに感じています。
なぜやっているのでしょうか?
大人になった今の自分がやっていることの中にも、動機をたどっていくと、実は「親から認めてもらいたかった」というところに行き着くものが、案外あるのかもしれません。仕事の進め方、頑張り方、何かを続ける理由。当たり前だと思っている自分の行動にも、子供の頃の気持ちが、静かに影響を与えていることがあるように思います。
もし、あなたにも「なぜか続けていること」「理由は分からないけれど、昔からやっていること」があれば、その動機を少し掘り下げてみると、思いがけない「父親との関係」を発見するかもしれません。
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