前回、グリーフがどれだけ心身に影響を与え、枯渇させていってしまうのかというお話をさせていただきました。
でも、正直に言うと。 本当は、誰かに話したい。
自問自答するだけじゃ、文字にするだけじゃ、足りない自分もいる。
なのに、いざとなると、話す前から諦めてしまう。
「どうせ、分かってもらえない」
なぜ、話す前から壁が立つのか
これ、実は臆病だからじゃないんです。
むしろ、これまでにちゃんと"試したことがある"人ほど、この壁が高くなる。
過去に軽く流された。
アドバイスをされた。
「もっと辛い人もいるよ」と言われた。
「元気出して」で終わらされた。
一度でもそういう経験があると、心はちゃんと学習します。
「話す→分かってもらえない→余計に傷つく」 このパターンを、二度と踏みたくない。
しかも前回書いたとおり、グリーフの中にいる心は、そもそもエネルギーが底をついている状態。 そこにさらに、傷つくかもしれないリスクを背負ってまで、話す。 これ、想像以上に高い壁です。
だから「話さない」を選ぶのは、弱さじゃなくて、これ以上消耗しないための、ちゃんとした判断なんだと思います。
それはそうですよね、ただでさえ失った悲しみに心がすり減っているのに、これ以上傷つくことは自分にとって致命的なくらいしんどいわけだから。
壁の正体は、期待値のコントロール
もう少しだけ、この壁の中を覗いてみます。
「どうせ分かってもらえない」って、諦めのようでいて、実は自分を守る予防線でもあります。
最初から期待しなければ、裏切られても傷が浅い。
分かってもらえることを願うより先に、分かってもらえないことを、先回りして受け入れておく。
これは、人間不信とはちょっと違います。
"自分の悲しみの重さを、誰かに測られること"への防御なんだと思います。
誰もが備わっている自己防衛の技なんです。 これ以上傷ついたら自分がダメになってしまうと無意識に反応しているんです。
悲しみって、他人と比べられるものじゃないのに、いざ話すと、無意識に比べられてしまう瞬間ってありますよね。 「その程度で」と思われるかもしれない。 「もっと辛い人もいるのに」と言われるかもしれない。
そう思うと、話す前から、もう疲れてしまう。
人は分かって欲しいから、同じ痛みを味わった人の体験談などに引き込まれます。 その空気感が安心出来るから。
でも、その中でまた、自分との違いをどうしても感じてしまう。
そして、やっぱり誰も分かってくれないというループに行き着いてしまいます。
分かってもらおうとすればするほど、違いばかりが目についてしまう。 だとしたら、"分かってもらう"のとは、別の道を探した方がいいのかもしれません。
「分かってもらう」をゴールにしなくていい
ここで、ちょっと視点を変えてみたいんです。
そもそも、「分かってもらう」を目指すから、しんどくなるのかもしれません。
同じ熱量で受け取ってもらう。 完全に理解してもらう。
そのハードルを自分で上げてしまうと、話すこと自体が、また新しい消耗になる。
でも、本当に必要なのは、分かってもらうことじゃなくて。 ただ、そのまま置いておける場所なんじゃないかと、私は思います。
分かってもらえなくてもいい。
熱量を合わせてもらわなくてもいい。
ただ、ジャッジされずに、そのまま聞いてもらえる。 それだけで、少し息ができる瞬間があります。
そういう場所は、身近になくても大丈夫です。 家族や友人じゃなくてもいい。 一度きりでもいい。 少し距離のある、専門的な誰かでもいい。
「どうせ分かってもらえない」という壁は、それだけ深く、大切に思ってきた証でもあります。 その重さを、軽く扱われたくない。
そう思う自分を、責めなくていいですよ。