気丈な人ほど、隠れて泣いている。

気丈な人ほど、隠れて泣いている。

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気丈でいなきゃ、と思ってしまう理由

とっても悲しいことが現実に起きているのに、何故か大丈夫なふりを、してしまう。
誰かが心配してくれているのに、
 「大丈夫」
 「もう平気」
「気を遣わせちゃってごめんね。もう大丈夫だから。」
 そう言ってしまう自分がいる。
ごめんねって謝ってまで、悲しみを隠そうとしてしまうこと、ありませんか?
本当は、全然大丈夫じゃないのに。心では号泣しているのに、全力で強がってしまう。

では、なぜ、悲しんでいる姿を見せたくないのか

悲しんでいる姿を、誰かに見せる。
 それって、実はすごく勇気がいることだったりします。
自分の中で勝手に「強い人」という役者を命じてしまってるような感覚です。
「心配かけたくない」「あなたらしくないと思われたくない」
 これが一番、分かりやすい理由かもしれません。
でも、その奥をもう少し覗いてみると。
 「弱いと思われたくない」
 「重い人だと思われたくない」
 「この人にまで、迷惑をかけたくない」
そんな気持ちが、幾重にも重なっていることがあります。

かつてのワタシも実母を亡くした時、まさに悲しんでいる姿を見せられずに、一人でこっそり泣いた張本人です。

"しっかりしてる人"を、演じてしまう

周りから見て、しっかりしている人。
 頼られる人。
 気丈な人。
そういう役割を、これまでの人生の中で、いつのまにか背負ってきた人ほど、この壁は高くなります。
「あなたは強いから大丈夫だよね」
 そう言われ続けてきた人は、悲しんでいる姿を見せることが、まるで期待を裏切ることのように感じてしまう。
弱っている自分は、"らしくない"自分。
 だから、必死に、いつもの自分を演じてしまう。
そして、心のどこかで、悲しんでいる姿を「恥ずかしい」とさえ思ってしまう。
これが一番の落とし穴。自分を悲しみに閉じ込めてしまう。
悲しみも出さないと癒されないことは、誰も教えてくれなかった盲点だったりします。

涙を見せることは、負けじゃない

でも、少し考えてみてください。
悲しんでいる姿を隠すのは、強さの証明じゃなくて。
 むしろ、"弱さを見せたら何かを失う"という、恐れの表れだったりします。
弱いところを見せて、
 がっかりされたら。
 距離を置かれたら。
 重荷だと思われたら。
これは自分ではなくて周りからどう思われるかの判断が影響していること。
そう考えると、隠すことは、自分を守るための、精一杯の防御なんです。
これまでの自分を必死で守っているだけ。
決して、冷たいからでも、強いからでもない。
気丈の裏側にあるもの
気丈でいる人ほど、実は人一倍、繊細だったりします。
繊細だからこそ、周りの反応を敏感に感じ取ってしまう。
 だからこそ、先回りして、自分を守る鎧を着てしまう。
その鎧は、弱さを隠すためのものじゃなくて。
 これ以上傷つかないための、精一杯の知恵なんだと思います。
一人になった時だけ、崩れる

人前では、笑っていられる。

 気丈に振る舞える。
でも、一人になった瞬間、糸が切れたように、涙が止まらなくなる。
 そんな経験、ありませんか。
ワタシがこっそり泣いたのもまさにこれです。

それは、弱いからじゃなく、
 むしろ逆で、それだけ、人前で頑張っていたということ。
頑張っている姿しか見せられないというその人の価値観でもあるんです。

気丈でいることにも、実はちゃんと、エネルギーを使っている。
でも、悲しみを隠さなくてはならないという、そんな条件は一切ないことをあらためて知って欲しいなと思います。



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