お盆の準備をしていて、ふと手が止まりました。
お供え、迎え火、精霊馬…。人間の家族には、当たり前のように用意している。
でも、あの子の分は。
考えてみたら、何も決めていなかったことにふと気づく。
というより、そもそも「ペットのお盆」を知らない。
なぜ手が止まってしまう?
「ペットも家族」だって、生前から当たり前のように認識していました。
むしろ、人間の家族以上に、そう思っている人だってたくさんいる。
ワタシもかけがえのない存在というランクにペットは位置付けている。
なのに、お盆になると急に迷う。
それは多分、儀式の"型"が、そもそも存在しないからだと思います。
人間用の仏壇や位牌のフォーマットを、そのまま流用していいのか。
なんとなく違う気がする。
かといって、他にどうすればいいのか分からない。
それに、こういうことって、案外相談しづらかったりします。
「ペットにお盆って、大げさかな」
そう思われる気がして、誰にも聞けないまま、毎年なんとなく素通りしてしまう。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみると。
儀式が正しいかどうかより、先にあるのは「会いたい」という気持ちだったりしませんか。
だとしたら、型がないことは、むしろ自由なんだと思います。
⭐️お供えの代わりに、好きだったおやつを置いてみる。
⭐️写真の前で、よくやっていた遊びを思い出してみる。
⭐️一緒に歩いた散歩コースを、あえてもう一度歩いてみる。
⭐️たくさん残っているスマホの写真、動画を見てみる。
正解の作法なんてなくて、その子との関係性そのものが、もう供養になっている。
そう思うと、少し肩の力が抜けてくるのが実感できるはずです。
思い出すのに、許可はいらない
本当は、思い出すのに許可なんていらないんです。
あの子のことは、いつだって思い出していい。
でも、日常の中では、つい蓋をしてしまう瞬間もあります。
いつまでもメソメソしていたらおかしい、そんな思い込みがあったり。
忙しさに紛れて、ふと気づいたら何日も思い出さなかった、なんてことも。
お盆は、その蓋を、そっと開けてくれる区切りなんだと思います。
思い出していい日、じゃなくて。
思い出す時間を、ちゃんと取っていい、と思わせてくれる日。
型がなくて迷うこと自体が、それだけ真剣に、あの子と向き合ってきた証なんだと思います。
人間と同じようにペットもお盆に便乗していいよね。
ご先祖様に連れてきてもらえるように、お願いするのもいいよね。
是非、想像してみてください。
精霊馬にご先祖様と一緒に天からやってくる子たちの姿を。
なんだかとってもホッコリしますよね。