時々ココナラのブログで見かける話題です。
まぁ。
やっぱり。
気にはなるので読むのです。
でも。
「お金のブロック解除」と言われても。
内容の説明を読んでも。
なんか納得いかないのです。
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話は変わりますが。
「パラレルワールド」のお話があるじゃないですか。
・世界線の分岐
・平行世界
・己は一本の木で、無数の未来が枝としてある(選択によって分岐した世界がいっぱいある)
ようなイメージ(理解・解釈)です。
それがあっているのかもよくわかりません。
よく、夢の中の世界は別世界の私。とか。
自分が自分としている。みたいな話もありますけどね。
そんなざっくりとした理解です。
専門家に言わせたらちょっと違うかもしれません。
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で。
ふと思ったのは。
例えば私が宝くじを買うじゃないですか。
当たったことはないんですけど(買ったことはある)。
確率で言えば、当たる可能性もあるじゃないですか。
でも、当たったことはありません。
だけど、買っている以上は当たる可能性は「0」ではない。
つまり。
パラレルワールドで言えば。
どっかにその「宝くじが当たった私の世界が存在している」と、考えられる。
「その行動」における未来の可能性は、すべて存在していても不思議ではないから。
ただし。
パラレルワールドについてその考え方であっているのかは知りません。
「仮に」と言うことで進みます。
***
要するに。
宝くじを買った以上は「当たった未来」も可能性として“ある”わけです。
理論上は。
でも。
現実には当たっていません。
だから。
私は「私には宝くじは当たらないものだ」と思っています。
だけど。
それはどこかの平行世界で、それが当たると言う確率で「私に宝くじが当たった世界も存在して」いる。
かもしれない。
なぜならば。
それを買った以上は。
「当たる」と言う確率も「0」ではないから。
その行動において紐づかれた(始まった)ものは、繋がっている(結果があるはずだ)から。
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じゃぁ。
宝くじを買った以上。
当たる可能性もあるわけで。
仮にパラレルワールドで。
「それが当たった」世界線の私もいるのなら。
それ(宝くじに当たるの)が“この私”でもいいんじゃないのだろうか。
まぁ。
なんか。
そう言う話で考えるのなら。
「悪くないのかもしれない」と思いました。
ただし。
人生設計(魂でどう。みたいなお話です)で必要以上に高額に縁がない時は、当たらない(人生において、でかい金額は手に入らない)らしいです。
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宝くじを買う以上。
「当たる」と言う可能性は“ある”のです。
(確率のお話にはなりますけどね)
それは世界線で分岐している。
「私には宝くじは買っても当たらない」じゃなくて。
理論上の可能性で当たった世界は別にある。
なぜならば。
宝くじを買う以上当たる可能性は「0」ではないから。
その行動における「ある」と言う“結果”は、どこかで発生していてもおかしくない。
じゃぁ。
それが“わたし”でもいいのではないだろうか。
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まぁ。
“当たる”と言う可能性で言えば。
「300円」でも当たれば「当たり」ですからね。
どこかの世界で私は。
あの日の宝くじで「300円」当てていたかもしれない。
じゃぁ。
次に。
「この世界の私」が。
そうであっても。
いいのかもしれない。
それには、まずは買わないとですね。
その切符を、手に入れるところから。
まぁ。
話が「宝くじ」じゃなくてもいいのです。
それは自分が考えるのにちょうどよかっただけです。
そう言う心持ちで。
お金について考える。