「魂を成長させる」って見えないし。変な話、それが進んだのかどうかも誰にもわからないよね。だから肉体に向けた意識で、見える数が多い・肩書、何かを持っている・所有できる。
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と“周囲に見せる”ことに固執があると取り組むのにちょっと難しいよね。
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だって、結果がでたのか。すらわからないし。
そもそも「見える結果」になるのかすらわからないよね。
だからそう言うものへの興味じゃなくて。
内に向かって。
今、それは「魂を成長させている(のかもしれない)」とある程度己に納得がいるよね。
でも。
それって。
見えないし。
変な話、誰にもわからない。
自分ですら。
ただ。
「ツインレイに出会った時点」で、もうすでにあるんですよね。
私のすべてはそこに。
だからそれ以上、外に向かって己を「こうだ」とよく見せかける・訴える必要はないのです。
たった一人の己の相手が。
私に応えている。
過去に外側に見せたい何かが、問題をこじらせていたこともあった。
でも、それは己ではなかったから起きたこと。
肉体(見える何か)と魂(見えない何か)のバランスが、変わってきている。
ある意味で、もう。肉体はピークを越えて、老いに向かっている。
外側はもう、そうは変わらない。
それはひとつの完成とも言えるような。
だから、今の己の、肉体における何かを外に追い求めるより。
内に向かって。
「そこに何があるのだろうか」