ふわふわ宙ぶらりん

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デザイン・イラスト
一時ロゴデザインの仕事を休止しておりまして、そうすると少ない稼ぎがまた一段と少なくなりますからテキトーにバイトでもしながら、本を読んだり、絵を描いたり、シルバーリングを作ったり、木を彫ってみたり、友人の1歳になったばかりの娘と一日中ひたすらに遊んだり、身体を整えてみたりと、まぁ色々やってみたんです。そうしてみますと、元々持っておりました躁鬱の波が綺麗に整ってきまして、精神的にかなり安定しているのを感じられました。体調もすこぶる良くてですね、もうここ1年は風邪も引いていませんね。常にご機嫌でいられるような感じもしますね。

そうしてこれなら個人の仕事や友人との仕事だけでなく、もっと輪を広げた見ず知らずの方との仕事もいけるんじゃないの?と何だか自信が出てきまして、ロゴデザインの仕事を再開するに至りました。それからというもの不思議と依頼してくださる方が休止する前と同等かそれ以上に増えてきましてね。本当にありがたいことです。
また、それと同時にどうしてこんなテキトーなやつに依頼してくださるのだろうか?そんな疑問も我ながら浮かんできてしまうものでして、これは癖ですね。なぜなぜ期の子供と全く同じ精神年齢故、仕方のないことなのでしょう。

休止以前はですね、ココナラにおける僕のライバルサービスや僕自身のサービスの動向なんかをよくよく観察しておりました。どんな特徴で、どれくらいの料金で、どれくらいの表示順位を維持していて、どれくらいの人が実際に見てくれていて、どれくらいの割合でお気に入り登録してくれるのか......と。表なんかを作ったりして、サービスの内容のどこを変えれば、数字が変わるだろうか?と、ずっと数字と睨めっこしていたわけです。それらは全部やめました。「面倒臭い」「どうでもいい」「つまらない」と、どこか吹っ切れてしまいましてね。そんなもん追っていても仕方がないだろうと。

それで、もう数年ぶりになるでしょうか、他のサービスを見てみたんです。やはり面白いですね。そこには「スタイリッシュ」だとか「洗練された」だとか、色んな言葉が縦横無尽に飛び交っておりますね。ここからサービスを選ぶなんてめちゃくちゃ大変やろうなって思いましたよ。その中から僕のことを見つけてくれているんだなって思うと本当に当たり前のことじゃないなって痛感するとともにめっちゃありがとう!!って思いますわな!本当に嬉しいです!!
で、無数に飛び交う言葉の数々について考えてみますと、きっとそれらをデザイナーは無意識のうちにでも「いいこと」だと思っているんだろうなというにおいがしていますね。そしてそれに共感するのか、同情するのかして、お客さんも選ぶんでしょう。
さて僕のサービスはどうなっているか。「ドカン!と存在感!!」とか書いてありますね。アホ丸出しなんですね!なのに依頼がもらえるんです笑 かと言って実際にやり取りしてみますとね、お客さんも全然アホじゃないんですよ!むしろ異様なまでによくものを考えていらっしゃるくらいでしてね。僕に対する評価でも「この人はアホです」なんて一言も書いていないのです。面白いですね!
でね、僕はロゴ休止以前はマーケティングの本なんかもたくさん読みましたし、実際に大学でそのようなことを学んだ友人なんかに相談したりもしましたよ。友人はもちろん僕がどういう人間かをそこそこ知っていますから、そうした文脈に沿って考えてくれるわけですからまだ有意義な時間がいくらか過ごせますが、そういう本にはですね、「こうしたら人間はこう動く!!」「ああすればこうなる」とか書いてありますよ。本当につまらねぇ!!
躁鬱と同時に僕はADHDという体質も持っておりまして、精神科医からのお墨付きをいただいておりますから、そのような退屈な本には耐えられませんでしたね笑 僕は人間をそのように見ておりません。その反対に、先に友人の娘と遊んでいたという話をしましたが、それが僕にとってはとても面白い体験でした。ずっと友人の娘というのも面倒なので、以下はその頭文字を取ってSと呼ぶことにしましょうか。

Sはよくモノを見ているようでした。大人が「そういうモノでしょ?」と思っているようなものでも、とにかく触れてみて、どうなっているのかひたすら試しています。発見に喜びを見出す科学者やアーティストさながら、引き戸を何回もレールに沿ってゴロゴロゴロと出したり閉まったりを繰り返し、どうしてそのように動くのか、どう身体を動かしたらこの戸が動くのかこんなところを一つ一つ確かめているように僕には見えました。人に対してもやはりよく見ていまして、Sがうちわを僕に渡してきたから僕がうちわをパタパタと風を送ってみてからSに戻すと、小手先ではなく体幹を、殊に肋骨や肩甲骨周りを使ってなんとか仰いでみようとする。イマイチ上手くできないもので再度、僕にうちわを渡してくる。僕はそれを見ていたからなるほど、そこが赤ちゃんはよく動くのかと、次はSの身体の動きに寄せて体幹付近を軸にしてうちわを扇いでみる。Sはなんとなく分かったのか「貸せ!」とまた手を出してくる。そんなことを数回繰り返しているとうちわで風を送ることが出来るようになりましたよ。感覚と外界とがどのようにして繋がっているのかをアウトプットとインプットを絶えず繰り返すことで習得していく。常に今まで持っていたイメージの破壊と再構築とをし続ける。Sがずりばいをしているときには「お!それは爬虫類の動きだな!」とかいって僕も一緒にやっていたから、僕がSの真似をして、Sもまた僕を真似するような土壌ができていた。友人宅の近くで予定が入るかも?となんとも微妙な感じでいつ友人の家を出るか決めかねていたところ、奥さんが夕飯まで作ってくれて、これがまためちゃくちゃ美味かったんだけれども、みんなで一緒にご飯を食べた。その間もずっとSの動きを真似していた。なぜかヒトラーがするような敬礼をSがするから、僕も真似して一緒にやっていた。食べ終わって「ごちそうさま」と僕が手をあわせると、Sもそれを真似して手を合わせてた。それを見て周りのみんなが笑顔で喜ぶから何回も手をあわせる。表情もよくみているんだろう。そうやって「いただきます」「ごちそうさま」って所作が出来るようになっていた。それが食べ物そのものの命や、それを育む大地、生産者、もちろん調理してくれた奥さん(Sにとっては母)などなどあらゆるものや人たちへの感謝なんだよ!それらを通して僕たちは生きているんだと自覚することなんだよ!その積み重ねで僕らは大きくなるんだよ!ってことはまだ分からないかもしれないけれど、1日一緒にいただけでも、こんなにもいろんなものを吸収し、文字通り身につけていく過程が見られてとても面白かった。めっちゃ頭いいやん!というか本来、人はそうやってモノを学んでいたんじゃないか?そうやってモノを考えていたんじゃないか?というのはこんなところからも少しずつ見えてくる訳だ。

さて、ココナラの中に無数にいるデザイナーの内に、Sのような視点を持っている人はどれくらいいるのだろうか?と考えてしまいます。僕は結構怪しいと思っていますよ。なんでもいいんですが、先に挙げました例の内から「洗練された」という言葉を取り出してみましょうか。
この「洗練された」という言葉を使っているデザイナーは、どうも「洗練とはこういうものでしょ?」というあくまでもイメージのうちに閉ざされているように僕には見える。現にそのサービスを見てみますと、とても簡素なロゴを作られる方が多いですね。色んなカタチの入り混じったような、カラフルでうるさいロゴはなかなか見当たらないのです。女性のデザイナーなんかを見てみますと、可愛らしいロゴを作られる方もおりますでしょ?僕には作れない、いいもの作る方だな!!って思う、素敵なデザイナーがたくさんいますよ!そんなロゴを見ておりますと、これだって立派な「洗練」なんじゃないか?と僕は思うんです。つまり、洗練というものはそれ単体でこれが洗練である!ということはあり得ないのではないか?ということなんです。クライアントのこれから始めようとするブランドが、例えば赤ちゃん用のプロダクトを開発する事業であったとしたら、その文脈の上で如何にして整合性を保ち、世界観を演出していくのか?という話であるはずでしょうと。このプロセス全体において導き出される「可愛い」という文脈に沿った試行錯誤において生まれるカタチは「洗練されたカタチ」と言えるのではないか?と思うのです。Sのようにものごとをよくよく観察していればすぐに分かるようなことを、していない人なんだなとそこで判断が出来るわけです!洗練という言葉を用いるに至るまでのプロセスに工夫がなく洗練されていないという点で、頭でっかちになってしまっている。そうやって一貫性を保てないので、宙ぶらりんでふわふわと漂っている。これをデザイナーというのであれば僕はデザイナーと呼ばれたくないなぁと思うものです。なので、肩書きをどうしても書かなければいけない場合はよくフリーター、ニートなんて書いてしまうのです。

僕で言えば、つまらない大人との付き合いなんかよりも、子供との遊びから実りある発見を見出したようにですね、きっとお客さんも「なんなんだよ」と、いくらかうんざりしていたところに「なんかガキくさいにおいがするぞ!」と直観して僕の元に辿り着く方が多いようなんです。ヒアリングしているとそういう話をしてくださる方が最近は特に多い。日本は少子化が叫ばれるようになって久しいですけども、そうなってくると僕の相対的な価値、希少性もどんどん上がってくるわけで、そりゃ僕に依頼が来るわけかと妙に納得もするものです。こういったある種の一貫性とでも言いますか、常に立ち止まってモノを考えるガキくささや野蛮さが、お客さんには伝わっているんだろうなと今回色々と考えてみまして分かった気がします。

偉そうに色々と書いてみたけれど、「そんなお前でいい」と依頼してくれる人がいる。もちろん至らない点はあるだろうが、それでも信頼してくれるのだから応えないわけにはいかないだろう。全力でぶつかっていくのみだ。

ただひたすらに、個別具体的に、目の前のお客さんとただただ向き合い、互いに誠実にやり取りすることで、ポンッ!とカタチは生まれます。語源から見てみますとこれをこそ「考える」と昔の人は言っていますね。そしてそれをひたすらに磨き上げる。それは前回書いた誠実さという話にもつながることでしょう!そのようにして初めてロゴは作られるんだなぁと熟思わせてもらえる。とても楽しい時間を最近は過ごさせていただいております!!

サンキュー!サンキュー!!

五十川 十一
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