私は結婚していません。子供もいません。
当時、周りで結婚ラッシュのときに私も結婚を考えていた時期はありましたが、摂食障害の悪化やうつで大きく状況が変わってからは、願望も焦りもパタッとなくなりました。
正直、自分の生活だけで精一杯。もうクタクタ。
結婚すると新たな家族ができる、責任が生まれる。
私は【今の家族】の中で、【子供】いう立ち位置にて、【子供】なりの責任が残っている。親より先に死んではいけない責任や、両親の子として生まれて幸せになる責任、一人前に自立する責任。
果たせる気がしない責任が溜まりまくっているのに、さらなる責任なんて増やしたくありません。
将来について考えたくないだけの逃げでしょうね。
今もその考え自体に大きな変化はありませんが、ひとつ確実に変わったこと、
それは「自分なりの親の像」を手に入れたことです。そう、愛犬のおかげ。
私の両親が私にしてくれたこと、私に対して抱いている感情や心配や不安や期待と同じというには大変申し訳ないけれど、掛け離れてはいないはずです。
私はこの子の親である。この子は産まれて2か月もしないうちにママと引き離され、見知らぬ人間と暮らさなければいけなくなったのです。
不安しかないのに、人間社会へ適応しろと言わんばかりにしつけを叩き込まれ、僅かでも行動を制限された。
私は「なんで言うことを聞けないの」と愛犬に苛立ち、勝手に失望していた所が少なからずありました。なんて身勝手な人間なんだろう。
私の親は、私に無償の愛を与えてくれている。
見返りなんて求めずにただ愛してくれているのに、私といったら求めるばかり。
こうでなきゃいけないと頭でっかちになって、無理やり幼犬の心を開こうとしていた。
私のことを私よりよく知っている母が、頭から余計なものを取り除いてくれたおかげで、今度はわたしが母親になれたのだと思います。
愛犬の自我や性格を、受け止め、受け入れることが最も重要だと理解したとき
愛犬の成長が自分の成長になっていくことを身をもって感じるようになりました。
一方通行の気持ちは何のプラスにもなりません。最初のコミュニケーションを無視しなければ、遠回りせずに信頼が生まれたはずでしょう。
愛犬が今何を考えて何を求めていて、何をされたくないか、じっくり観察して受け止めること。そこを経て生じた課題を自分に課す。
愛犬をよく知ることが無償の愛に変わるまでには時間はかからなかったなぁ。
(そりゃぁ本当に小憎らしいときもありました、ありましたよ!(怒))
いろいろ許容できるようになったら、ス~って気が楽になり。愛犬が可愛くて可愛くて、イタズラも愛しく感じて。
こんなに思ってるのに!こんなにしてあげてるのに!どうしてわかってくれないの?って、そうなってた時期は、1ミリの得もなかったなあと反省しております…。
反省と同時に、漠然と抱いていた責任感が、ハッキリとデカいものに変わってました。
愛情と責任。しっかりこの両手に握りしめました。
愛犬との関係だけではなく、日常の生活の在り方でも言えることだと思います。対社会や対人間となると難易度はぐっと上がりますが、この反省を生かして、楽に楽に生きていきたいです**