愛犬との関係について今も考えることがあります。
犬にとって飼い主はボスであるとか、リーダーはたった一人だけとか、リーダー説は古い考えで犬は家族の一員だとか。
犬は自分の家族を順位付けなどせず。、損得だけで行動しているとか。
情報が溢れていて、何を信じていいのだろう。
噛まれるたびに考えました。リーダーだと思えば私を噛まないはずだ。ということは、私の立ち位置は?下?上?それはいいことなのか悪いことなのか。
この病気にかかってからか、もっと前からなのか。承認欲求というのでしょうか、見捨てられるのではないかという見えない不安(表現しづらい感情)が常にそばにありました。
そのせいか独占欲のようなものを感じるようになっていき、見捨てられた経験があるわけではないのに、離れていくことに恐怖を覚えるようになりました。
対象が犬であろうとも、それは変わらず。この子には私だけ、この子の一番は私でなければいけない。リーダーであり親である私のいうことはきいて当然であり、そんな私を噛むということは私の存在を否定しているのも同然でした。
愛犬が噛む行為が、私の存在価値をなくすという謎の方程式。どんなだよ(笑)
私に必要なものは、意地でもない、欲でもない、完璧さでもない。
いろんなものを手放してみよう。この子と仲良くなるために。
何も変わらないかもしれないけれど、おそらく今よりは悪い状況にはならないだろうと、そう思ったのです。
そうしたら…驚くほどに良い方向へシフトしていったのです。
0か100かの極端な考えが、少しプラスに働いたのか、手放すと決めたら思ったよりもあらゆることを手放していました。
「ご飯は○○グラムしかあげてはいけない」
「散歩は○○分以上行かなければいけない」
「歯磨きは毎日2回必ずやる」
「ブラッシングと耳掃除は嫌がろうとも毎日続ける」
「抱っこの練習も欠かさない」
「おやつはこれだけ!」
「体重は○○キロ以上にしてはいけない。」←もうガチガチの摂食障害やん
か、かわいそう(汗)。そりゃあ、ストレス溜まるわな。
反抗する愛犬と、なんとしてでもやり抜く飼い主。だんだんと気持ちが離れていっていることにも気づかぬふりをしていたなぁ。
まじでごめんね。
適当でいいんだよ。なんとかなるから。
母曰く、以前の拒食真っただ中の私を見ているようだったと。
その思考を止めなければと必死になって助言してくれたおかげで、50くらいの半分の思考をもてるようになりました。
適当でいいんだよ。なんとかなるから。
繰り返し繰り返し言い聞かせました。
ご飯が1グラム多くてもいいや。
散歩ができない日があっても仕方ない。
抱っこが嫌なら無理に抱かない。
歯磨きは慣れてから時間をかけていこう。
犬友からおやつをもらったときには喜んで与えよう。
理想の子にならなくてもいい、とにかく精一杯愛そう!!
適当が苦手なわたしが適当になった途端、愛犬と私の関係が急激に回復しました。
抱っこするときは表情で受け入れてくれるのかが分かるようになったし、
歯磨きをする角度も重要だったり。
散歩できない日は部屋でたくさんボール投げをしたり、芸を教えたりして。
疲れたら休む。明日またチャレンジしてみようと。
とにかくたくさん目を見て話しかけて、褒めまくって、愛情を注ぎまくりました。
気づいたら、毎日膝の上にいて、目で会話していて。
愛犬なしではありえない生活にどっぷりハマっていました。