相手の考えを否定しないように気を付け、できるだけ歩み寄ろうとする。
それでも返ってくるのは、話の論点がずれていたり、こちらの意図とは全く違う解釈だったり、頑なに自分の考えだけを押し通そうとする言葉ばかり。
最初は「私の説明が悪かったのかもしれない」と思う。
だから言い方を変える。
例え話を使う。
順番を整理して話す。
それでも伝わらない。
そんな相手と向き合い続けていると、次第に疲れ果ててしまう。
私は、こういう相手とは無理に分かり合おうとしなくてもいいと思っている。
❇️コミュニケーションは一人では成立しない会話はキャッチボールによく例えられる。
どれだけこちらが丁寧にボールを投げても、相手が受け取る気がなかったり、違う方向へ投げ返してしまえば、キャッチボールは成立しない。
コミュニケーションも同じである。
「伝える努力」はもちろん大切だ。
しかし、それと同じくらい「理解しようとする姿勢」も必要になる。
どちらか一方だけが努力し続ける関係は、対話ではなく、一方通行になってしまう。
それは決して健全な状態ではない。
❇️話が通じない人を変えようとしない人は誰でも、自分の価値観や考え方を持っている。
だから意見が違うこと自体は悪いことではない。
問題なのは、「違う意見を理解しようとしない」「最初から否定する」「自分の結論しか受け入れない」という姿勢である。
こういう相手に対して、「何とか分かってもらいたい」と努力を続けるほど、自分の心はすり減っていく。
人は、自分が変わろうと思わない限り変わらない。
だから相手を変えることを目標にするよりも、自分の関わり方を変える方が現実的なのである。
❇️距離を置くことは逃げではない「距離を置く」というと、冷たい人だと思われるのではないか、と不安になる人もいる。
しかし、私はそうは思わない。
心を守るための距離は、逃げではなく自己防衛である。
例えば毎回同じことで言い合いになるなら、その話題には深入りしない。
返信を急がなくてもいい相手なら、少し時間を置いて返す。
必要以上に会わない。
相手を説得することをやめる。
それだけでも、心の負担は大きく変わる。
距離を置くというのは、「嫌いになること」ではない。
「自分の心が壊れない距離を選ぶこと」なのである。
❇️「分かり合えない人」がいることを受け入れる私たちはつい、「話し合えば分かり合える」と信じたくなる。
もちろん、多くの場合はその通りだ。
誤解が解けたり、お互いを理解できたりすることも少なくない。
しかし残念ながら、世の中には何度話しても平行線のままという相手も存在する。
それは、どちらが優れているという話ではなく、価値観や考え方、対話への姿勢が大きく違うだけなのかもしれない。
そんな相手に対して、「どうして分かってくれないの」と苦しみ続ける必要はない。
「この人とは、この距離感がちょうどいい。」
そう割り切ることも、大人の人間関係では大切な知恵である。
❇️自分の心を一番大切に人間関係は人生を豊かにしてくれる。
しかし、すべての人と分かり合えるわけではない。
もし、ある人と話すたびに疲れ切ってしまうなら、一度立ち止まって考えてみてほしい。
「私は、この関係を続けるために、自分を犠牲にしていないだろうか。」
相手を思いやることは素晴らしい。
でも、その優しさが自分自身を傷つけてしまっては意味がない。
だからこそ、ときには距離を置く勇気も必要である。
人との距離は、「近いほど良い」のではない。
お互いを尊重し、自分らしくいられる距離こそが、長く心穏やかに付き合える距離なのだと思う。
話が通じない人を無理に理解させようとしなくてもいい。
すべての人に分かってもらおうとしなくてもいい。
あなたが安心して笑える環境を選ぶことは、決してわがままではない。
それは、自分の心を大切にするための、とても健全な選択なのである。