よく、愛は求めるものではなく与えるものだといいます。
そのとおりだと思います。
しかし、一方的に永遠に愛を与え続けるということはとても困難なことでもあるとベアたんは考えます。
一方的に愛を与え続けることが困難な原因
1.相手がそれを求めていない:
相手が愛情を求めていない場合、一方的に愛を与え続けることは困難です。相手がそのような気持ちを持っていない場合は、相手に対して時間やエネルギーを費やすことは自分自身を疲弊させるだけでなく、相手を不快にする可能性もあります。
2.自分自身のニーズを無視することが続くと、疲れやストレスがたまりやすい:
自分自身のニーズや欲求を無視し続けることは、長期的には疲れやストレスにつながる可能性があります。自分が幸せで健康であることが、相手に対する愛を持続するためには必要です。
3.対等な関係ではない:
相手との関係が対等ではなく、一方的に愛を与え続けている場合、その関係は健全ではない可能性があります。自分のニーズや要求を表明することができない場合、相手との間に力関係が生じ、精神的な不安定さや依存心を引き起こす可能性があります。
4.他の義務や責任がある:
一方的な愛を与え続けることは、自分の人生で唯一の責任ではない場合があります。仕事、家族、友人、健康など、自分に対する他の義務や責任がある場合は、その責任を果たすために時間やエネルギーを使う必要があります。
5.過去のトラウマや心理的問題:
一方的に愛を与え続けることは、過去のトラウマや心理的問題によって引き起こされることがあります。自分自身を愛することができない、他人に対する信頼や親密さを持つことができない、自分自身を犠牲にすることができない、などの問題がある場合、一方的な愛を与え続けることは難しいかもしれません。
ベアたんは、愛は与えて、与えられての繰り返しだと思っています。
与えてばかりの場合、やはりどこかで見返りを求めてしまう瞬間というのが訪れると思うのです。
見返りを全く求めないというのは理想論にすぎないと考えています。
やはり愛する人からは自分も愛されたいし、大切にされたいです。
お互いがお互いを尊重し、愛し合うのが愛だと考えています。
愛はただ与えればよいというものでもないと思うのです。
最初から見返りを求める、それは愛ではないような気もしますが、一方的に愛する、与え続ける、それは与えたいという自分のエゴを押し付けているだけにすぎません。
愛がエゴになる瞬間
1.相手に期待することが多くなる:
相手に対して期待を持つこと自体は悪いことではありませんが、過剰な期待はエゴに繋がります。例えば、相手が自分の望むように行動しないと、失望や不安を感じるようになります。
2.自分自身の感情や欲求を優先することがある:
愛の中心には相手の幸福がありますが、エゴになると自分自身の感情や欲求を優先するようになります。例えば、自分が相手に与えたい愛情を強要するような形で、相手と一緒にいる時間を増やそうとすることがあります。
3.自分の意見や価値観を押し付けることがある:
相手に自分自身の価値観や意見を押し付けることは、エゴになる可能性があります。相手の意見や考え方を尊重し、受け入れることが大切です。
4.相手に自分自身の問題や欠点を押し付けることがある:
愛は相手を受け入れることでもありますが、エゴになると相手に自分自身の問題や欠点を押し付けることがあります。相手に対して自分自身の問題を解決することを期待するのは、相手に負担をかけることにもなります。
5.自分自身の自尊心やプライドを優先することがある:
エゴになると、自分自身の自尊心やプライドを優先するようになります。例えば、自分が正しいと思うことを主張するために、相手を攻撃したり、自分自身の優位性を示そうとすることがあります。これらは相手との関係を傷つけることにもなります。
いつも口を酸っぱくして言っていますが、人間関係とは塩梅だと思うのです。
どちらかが優位に立っていたり、押し付けていたり、それは塩梅がよいとは言えません。
与えることもあるし、与えられることもある。
支えられることもあれば、支えてもらうこともある。
バランスだと思うのです。
愛は無償のものではないと思っています。
金銭が発生するという意味ではなく、身を、心を削って与えることもあるという意味です。
それは相手に対しての心配だったり、配慮だったりすることもあるかもしれません。
人間関係が完全に対等になる、ということはなかなかないかもしれません。
親子でもそうです。
けれど、できるだけバランスをとるように工夫することはできるはずです。
愛は与え、与えられるモノ、そう思います。