「おでん」の思い出

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コラム
中秋から翌年の初夏までの半年間、私は必ず「おでん」を作る。
それは「おでん」が好きで、非常に役に立つ料理だからである。
「おでん」をしっかり作っておけば、昼食でも夕飯でも副菜として十分使えるのである。主菜に焼き魚や刺身類を考えそこに「おでん」が添えられておれば、大概格好はつく。

もちろん「おでん」の具は毎日同じだと飽きるから、「練り物中心」「大根と昆布中心」「牛スジ中心」「タコ中心」といった具合に、メイン素材を日替わりにしてそれなりに飽きない様にはする。
「おでんの出汁」がシッカリできていれば、中に入れる具はよほどのことが無い限り、たいがい何とか調和して、美味しく食べられるのである。

その私が「おでん」を好きになったのにはキッカケがあった。
小学生の通学路の途中に在った小さくてあまり清潔とは言えない魚屋さんが、作っていた自家製「こんにゃくの煮物」がとても旨かったのだ。


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晩秋の通学時に手袋やマフラーがそろそろ必要に成る、といったころ合いにその魚屋では朝から店先にドラム缶を置き廃材を焚き、大きな鍋に「鮪のアラ」を主たる素材として醤油で出汁を造り、1丁を1/4ぐらいのサイズに切った大きめのこんにゃくを串に刺して、鍋の中に大量の串をグツグツと煮ておくのだ。また鍋の中には大きくぶ厚い大根を輪切りにして、一緒に煮ていた。
朝学校に行く頃は未だ煮始めたばかりなので、殆ど存在自体を気にも留めないのであるが、15時ごろの下校時に成ると店の何mも先から、醤油味の好く効いた旨味たっぷりの匂いが漂っているのだ。

その濃いめの醤油味の赤黒い鍋の中から、熱々で「大き目のコンニャク」や「厚い輪切りの大根」を買い求めて、その大きな串を持って食べながら家路に向かうのであった。
当時の値段で5円だったから、小学生の小遣いでも十分買えた。

何時間も濃い口醤油と鮪のアラで煮込んだコンニャクや大根は、旨かった。”実に旨かった”のだ。
その原体験があったから、私は「コンニャク」や「大根」の煮物を食べるたびに、その時の旨い味を思い出すのである。
その何の変哲もないコンニャクや大根の「旨さの秘密」が、「鮪のアラ」にあった事に気が付いたのは30代になって、自分で料理を作るようになってからであった。

オデン大根.2jpg.jpg


以後40年近く経った今でも、あの時の旨い「コンニャク」や「大根」の味を再現する事が出来ないでいる。
いつか「鮪のアラ」と「濃い口醤油」を大鍋に、大量のでっかいコンニャクや輪切りにした大根とを何時間もグツグツ煮て、あの時の味を再現したいものだと今でもそう想っている。
北海道の寒い冬に、熱くて温かな食べ物が食べたくなると私は「おでん」を創りながら、あの60年近く前に食べた「コンニャク」や「大根」の味を思い出すのである。
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