昨年あたりから、物価高を” 意識 ”する様に成り、今年になってついにそれを” 痛感 ”するに至った。
その主たる原因は、円安に依る輸入品価格の高騰や原油や資材といった、諸産品の値上がりが多くの生活用品に及んでいる点であろう。
そしてついに主食の米の値上がりや、郵便物や宅配料金の値上がり珈琲豆(私にとって重要)の値上がり、といった点やホテル宿泊費の著しい高騰といった事が続き、旺盛なインバウンド需要といった要因もあるのだろうが、身近な飲食店なども価格が当たり前の様に2・3割増しに成って来ている。
これらの物価高や高騰という現象は、”失われた30年 ”と言われる日本社会の経済停滞が続いたために、ほんとに久々の事である。
現在3・40代の若い人々は、たぶん生まれて初めての事で、この現象が一時的な事なのか、それとも今後も継続する事なのか”どう受け止めたら良いのか ”、判断に戸惑っているかもしれない。
しかし、本年70歳になった私などはこれまでの「高度経済成長」や「オイルショック」「バブル景気」等といった、物価高騰の場面を何度も経験している事から、これから起こるであろう事を、ある程度は推測する事が出来る。
これまでの30年間、殆ど日本社会は経済成長が進まず、その結果「労働賃金の上昇」や「所得の増加」は殆ど無く、それでいて企業が稼いだ利益の「企業内留保」だけはせっせと蓄積され続けた。
企業は太り、従業員たちは痩せたまま30年間という月日が流れた。
個人所得の低迷が続き、そして世の中の「景気感」の上昇には至らなかった。
即ちこの30年間「経済成長」や「好景気」といった社会現象は、日本では起こって来なかったのだ。
気が付けば「日本の労働者の賃金」は、先進国と言われるOECD国々の中でも、下から数えた方が早い低水準のままで推移しており、日本国民は決して豊かとは言えない社会の中で、過去の栄光に浸りプライドだけを持って生活してきたのである。
そんな長い景気低迷の中で、昨年あたりからの物価高騰に伴い「春闘」が象徴する「賃金上昇」が復活し、「都道府県別最低賃金」等も行政誘導で上昇し始め、2024年の物流業界の「働き方改革」に伴う「人件費上昇」や「手数料上昇」がジワジワ進み、冒頭の「諸物価の高騰」が起こっているのである。
その一方で、「急激な円安」に依って輸出産業を中心とした企業の業績は絶好調で、「内部留保」の蓄積にせっせと勤しんでいた企業も、やっと「従業員の賃金上昇」という「収益の配分」に舵を切り始めたのである。
で、こういうある種の「物価上昇」→「賃金up」→「物価上昇」といった循環が、繰り返されるようになると、いわゆる「インフレ」が続き、4・5年もすれば諸物価が2割も3割も上昇する事が” 当たり前 ”な社会に成って行くのだ。
「高度経済成長期」や「バブル経済期」といった昭和の後半期は、将にこういった時代であって、30年ぶりに今の日本社会はその入り口に差し掛かっているのではないかと、私などは想っているのである。
そしてその”時代の転換 ”を象徴するのが、先の選挙で躍進した国民民主党が掲げている” 手取り収入のup ”政策であり、「103万円の壁撤廃」なのであろう。
失われた30年の間、当たり前であった「個人所得」や「国民健康保険」で構築されて来た、幾つかの”壁 ”の撤廃や突破が、それを主張する政党の躍進と、その仕組みを作り維持して来た政権与党の”過半数割れ”が起きた結果、この少数政党の目玉政策を政権与党が飲まざるを得なくなっているのである。
今から5年か10年かした後に振り返って、令和6年=2024年の総選挙の結果が、長い日本経済の”失われた30年 ”からの脱却の”ターニングポイントだった ”、と語られることに成るのではないかと、私は推測している。
と同時に、今後暫くはかつての昭和の時代の様に「物価高」が進み、年金収入をベースに組み立てて来た私自身の「生活設計を見直す」きっかけにしなければ成らない、と想い始めているところである。
齢い70歳にして人生の最終章を、生き抜くための「生活設計の手直し」を行う事に、ある種の覚悟を感じている今日この頃なのだ。
私はこの認識を家族、取り分けこれまで” 失われた30年しか”経験していない、20代後半の息子に話して、時代認識を改めることを能動的に促している。
彼がどこまで今起きている”時代の転換期”を理解しているかは定かではないが、いつの日か私の語っていたことを振り返って、”親父の言ってた事はこう言うことだったのか・・”と、感ずることが出来る事を期待しているのである。
久々の物価高及び賃金の上昇という社会動向の変化を前にして、自分自身の意識を変え、行動を替える事を考え始めている、私なのである。