ここ数週間の間に、世界規模で”民主主義”という社会システムについて、考えさせられる事態が発生しており、自分自身の中でこのテーマについて改めて考えてみた。
それは「イギリスの総選挙」「フランスの総選挙」「イランの大統領選挙」「東京都の知事選挙&都議補選」が、相次いで行われたことがキッカケであった。
これらの内「イランの大統領選挙」を除けば、概ね先進国で行われた国会議員選挙であり、近代の「民主主義」国家において実施された、国家経営や統治の担い手=政権を選ぶための選挙であった。
これらの選挙における結果は
「イギリス」においては、14年間続いた保守党(コンサバティブ)政権から、労働党政権への政権交替という結果をもたらした。
ご存知の通り「イギリス社会は王室の主を国家元首として、国民が選挙で選んだ代表者が内閣を率いて、国家の統治・運営を担うという社会システムで、17世紀以降400年以上続いているシステムである。
そして「明治維新以降の日本」は、このイギリス型の社会システムを手本としてきた。「天皇を国家元首」として「普通選挙」に依って選ばれた内閣が、国家の統治機能を担うという構図が、イギリスに似ているからであろう。
実際には明治維新後の「薩長軍閥政治」や「元老政治」等の紆余曲折を経て、第二次世界大戦の敗戦に依る「アメリカ主導の民主主義」導入が、今日の日本の社会システムを創って来たのであった。
そして今回イギリスで起こった様な「政権交代」は、「小選挙区制」という選挙システムから起こった事であり、日本でも30年近く前に「小選挙区制」が導入され、今日に至っておりこの点でもシステム上は、参考になる。
また「フランスの総選挙」はフランス革命以降2百数十年にわたって、何度か繰り返された民衆の革命に依る帝政(皇帝支配)打破、と「帝政の復活」といったプロセスを経て、確立されたのが、現在の「第五共和制」という社会システムである。
旧植民地国の独立を機に1950年代後半に確立されたフランスのこのシステムは、大統領が大きな国家統治の権限を有しており、その点がイギリスや日本の仕組みとは異なる。
その大統領の権限の強さが、今回の様な「マクロン大統領の一方的な国民議会解散」をもたらし、そのマクロン大統領のEU主導の国家統治手法への反発が、「マクロン与党の大敗」を引き起こし、「極右勢力の伸長」や「極左を中心とした左翼連合の躍進」という結果を、もたらしたのであった。
結果的には1回目投票でルペンの率いる「極右連合」躍進への危機感を抱いた、「左翼連合」と「マクロン与党」の決選投票での「候補者一本化」が功を奏し、「極右連合」を第3党に留まらせることが出来た、というのがつい先日の選挙結果である。
フランスの選挙制度では候補者が「50%以上の得票率」を取った場合にのみ、当該選挙区の代表者に成り得る、というシステムに成っているため「1回目の投票」→「決選投票」という仕組みになっている様なのだ。
また中東の雄「イランの大統領選挙」は、あまり民主的な選挙とは言えない仕組みの選挙である点を理解した上で、考えなくてはならないのだが、国民が「直接投票」に依って大統領を選ぶ選挙で、今回は「改革派」の候補が「保守強硬派」の候補に300万票の大差をつけて勝利している。
イランの選挙の特殊性は「宗教指導者」の意を受けた「候補者資格審査会」が関与し、事前に候補者を審査しセレクトするという仕組みがあり、そのセレクションを通過した人物だけが大統領選挙に、立候補できるというシステムにある。
現在であれば「最高指導者ハメネイ師」の意に沿わない候補者は、事前審査で「弾かれてしまい」立候補すら許されない。
従って我々の知ってる先進国の「民主主義」とは異なり、宗教が国家を支配している国での「民主主義」という特殊性を持つ。
日本ではなじみが無いが戦国時代の一向一揆の時に、浄土真宗の蓮如が信徒たちをコントロールして、織田信長や上杉謙信と闘ったのと同じような構図だと、私は想っている。
従って近代的国家とは言えない、宗教国家の下での『民主主義』なのである。
そのイラン大統領選挙は、結果的には「改革派候補者」が勝利し、欧米との協調路線をとる大統領が誕生したのである。
しかし宗教国家イランでは「宗教指導者」という絶対権力者が居て、保守強硬派の「ハメネイ師の意向が政治をコントロールする」というシステムである以上、新大統領が欧米協調路線を行使するには、少なからぬ制約を受けることが予測される。
そして同じ日に投・開票が行われた、「東京都知事選」と「都議会の補欠選挙:9選挙区」である。
結果的には都知事選挙には現職の小池氏が当選したが、それ以上に私が注目していたのは「都議補選」の結果であった。
都知事選挙の方は、口角泡を飛ばし青筋を立てながら現職を攻撃するだけの、野党の元参議院議員や、人口3万人にも満たない地方都市の市長職を投げうって、SNSを駆使して都知事選に挑んだ候補とが破れ、百戦錬磨のしたたかな現職が勝ったのであるが、これは役者のレベルが違い過ぎたのであり、その結果にはたいして驚いてはいない。
むしろ私は「都議補選」の行方に、世論の動向を押し測る上で注視していた。
6月の定例国会で、全く実効性を伴わない「政治資金規正法」が可決成立した後の、大きな選挙であったからである。
東京都民の民意がどこら辺にあるのかを確認するのには良い機会であり、バロメーターであった。
都議補選の結果は、政府自民党は8選挙区に候補者を立て2勝6敗であった。
その他は都民ファーストの会3勝1敗、立憲民主党1勝2敗、無所属・諸派各1、共産党・維新の会0勝であった。
ここ数日の間に起こったイギリス/フランス/イラン/東京の選挙結果は、上記の通りであったが、私はこれらの国々の選挙制度の違いや、その投票結果をみて民主主義の多様性と国民の出した審判の結果について、改めて考えてみた。
その結果言えそうなのは、「イギリス」や「フランス」「日本」といった所謂「先進国」の選挙制度は、概ね国民や有権者の民意が比較的ストレートに選挙結果に反映できる、といった仕組みになっており、近代的「民主主義」の原則が貫かれている社会である、という事であろう。
「事前に宗教勢力のセレクション」を経てからの国民投票という、「イラン」の様に宗教が国家をコントロールする、中世社会の様な社会システムを採用している国に比べ、「民意が直接国家の統治機構に影響を与える」度合いが強いのが、現在の日本を含む欧米等先進国の民主主義であるという事を、改めて確認することが出来た。
それらを前提にして私が生活してみたいと思っている国家は、当然の様に「国民の民意が社会の統治機構の在り方に影響を与える」国家だと、思っている。
実質的に「民主主義的な選挙制度」のない、北朝鮮やミャンマーなどの「軍事国家」や、選挙結果を諜報機関や治安機関が不正操作する、ロシアやベラルーシの様な「治安機関支配国家」等では、ストレスが溜まってとても暮らすことが出来ない。
更には「民意をくみ取る選挙制度」そのものが存在しない、中国の様な全体主義国家は言うに及ばず、なのである。
以上がここ数週間の間に起きた、世界の主要国の「総選挙」や「大統領選挙」結果を知って、私が改めて感じた感想である。