不易と流行

記事
コラム

この言葉は、松尾芭蕉が自分の門弟に対して言った言葉だとされている
その意味は物事には「不易:変わらないもの=不変」と「流行:新しいもの=新規」とがあると、そしてその「不易」と「流行」とを俳句を詠むときにも意識することが大切である、というようなことを言ったという。

この事は、私たちの日常生活や生き方にも関係して来るのではないかと、私は時々感じることがある。

人間を60年以上やっていると、それなりに体験や経験が堆積してくる。その体験や経験を通して、物事の良し悪しといったこともある程度判って来る。
知識や情報として得たものはもちろん、それ以上に経験から学んだ事や身に付いたコトが堆積して来るのだ。そこで運良く残ったモノやコトが「不易」と成って評価され、堆積されるのである。
「不易」は評価がある程度定まったものであるから、「不易」の積み重ねが多いほどいろんなことが安定して来る。失敗から学んだ事や、間違いが無いことの積み重ねだからそう云う事に成るのである。当たり前と言えば当たり前のことだ・・。

1562026136007229300.jpg


ところが「不易」や「不変」が増えて安定する事は良いのだが、それが増えすぎたりシェアの多くを占めすぎると、「停滞」し「澱み」を生んでくるのである。
「陳腐」「マンネリ」「オゴリ」と言ってもよいだろう。
安定志向が強すぎると冒険はしなくなり、新しいことへのチャレンジは少なくなる。その結果「慣れ」が生じてしまい「当たり前」になる。
そして今度は「既知」の事として、「飽きられ」見向きもされなくなってしまう。「吸引力」や「磁力」が弱く、魅力が無くなるのである。

従って安定志向の「不易」だけでは,、実はつまらないのである。
そこで「流行」が待たれるのである。

「新しく」「新鮮で」「今まで知らなかった事」が登場すると「注目され」「期待感が高まる」「耳目が集まり」運が良ければ「光り輝く」のである。
新しいことにチャレンジし、冒険を行ない失敗を恐れないことが、新たな魅力を生むのである。
しかし当然の事ながら成功や果実が保証されているわけではない、少なからぬ失敗を伴うことが多い。

従ってこれらの担い手の多くは「若く」て「エネルギーがあり余って」いて、「時間がたくさん残っている」人たちであることが多い。即ち「若者」である。
この「若者」というのは年齢という身体的な若者はもちろん、精神的な若者をも指す。気持ちの若い人の事である。
そして運よく成功し結果を伴った場合、それらは広く社会に受け入れられ深く浸透していく。

しかしチャレンジや冒険からそのような果実を得る機会は少ない。
たぶん成功する確率は10%とか20%とかいったレベルであろう。根拠はないが経験上その程度だと思っている。
更には仮に成功したり果実を得ることが出来たとしても、それが長く続くわけではないのもまた現実である。

「流行」と云うものは一時脚光を浴び世の中の耳目を集めるが、基本的には賞味期限が切れると、その後は「当たり前」に成ってしまうのである。
その結果「飽き」られ「輝きを失い」「魅力無く」なるのである。
よく「大ヒット」「一発屋」とか「一発芸人」と云われるモノやコト・ヒトが現れて、消えていくのはそういう事なのであろう。
従って「流行を生み出す」ことは難しいが、同時に「流行を出し続ける」ことは更に難しいのである。

そして一番大事なことは「流行」だけ追い求め続けることは、常に「不安定」であり、常に「不確実」な状態が続くと云う事であろう。

「いつまでも若くはない」とか「そろそろ落ち着かないと・・」とか言ってチャレンジや冒険から撤退する事に成るのである。
何よりも生活しなくてはならないし、家庭を持ったりすると現実的に成ってくるのである。それが生きていくと云う事でもあろう。

あきはばら.jpg


こうやってみてみると「不易」と「流行」の関係は、それぞれ単独では成り立たないことが判って来る。したがって「不易」or「流行」ではないことに気づくのである。
大切なことは「不易」&「流行」と云う事なのである。
「不易」を持ちつつ「流行」を取り入れ続ける、と云う事なのであろう。
たぶん芭蕉はそう云う事を言いたかったのではないかと、私は感じている。

「不易」の中に「流行」を取り入れ続ける。即ち「定番や安定」を維持しつつ「新しいことにチャレンジ」し続けることが大切であると、云う事であろう。
これは俳諧という世界で芭蕉が言った言葉であるが、京都という街が持つ「伝統」と「進取の気質」の関係でもあるように思われる。「伝統」&「進取の気質」なのである。

「奈良」と「京都」の街の違いは、まさにこの「or」と「&」の違いなのではないかと、私は想像している。
そして「不易or流行」と「不易&流行」の問題は、老舗と云われる店舗や企業の問題でもあると同時に、社会や政治の問題でもある。
もちろん文化や文学の世界の問題でもある、と私は想っている。

従って「不易と流行」は俳諧の世界の問題だけではなく、何よりも自分自身の問題でもある、と自覚している。
                                                                                                                     ―2019.07―
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す