ツインレイを理解するための映画⑥~ジョン・レノン 失われた週末~

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「ジョンとヨーコ」といえば、世界一有名なカップルと言っても過言ではありません。
しかし、そんな二人にも「失われた週末」と呼ばれる、約18か月の別居期間が存在しました。

今回ご紹介する映画は、1973年秋から1975年初頭まで、その“失われた週末”をジョン・レノンとともに過ごした女性、メイ・パンの証言をもとに描かれたドキュメンタリーです。

※以下、ネタバレを含みます。

メイ・パンはニューヨーク・ハーレム出身の中国系アメリカ人で、その才能を認められ、19歳という若さで音楽業界へ入りました。
やがて彼女はジョンとオノ・ヨーコの秘書兼アシスタントとなり、二人の活動を間近で支える存在になります。

そんな中、反戦運動に対する政府の圧力や、アルバムの酷評、元ビートルズメンバーとの不仲などのストレスが重なり、夫婦関係も行き詰まり始めていた頃、ジョンの浮気をきっかけに、ヨーコはメイに「ジョンの恋人になってほしい」と提案します。
あまりにも衝撃的な申し出に、当然メイも戸惑い、ジョン自身も困惑したようですが、やがて二人は惹かれ合い、本格的な関係へと発展していきます。

映画は終始メイ視点で語られているため、ヨーコ側の本心はわかりません。
作中のヨーコは、支配的で魔性的な女性のように語られていますが、私はむしろ彼女の凄さを感じました。

ヨーコは、深いつながりの中で、ジョンの魂が自分との閉じた関係に息苦しさを感じ、自由を求めていることを理解していたのではないでしょうか。
すべてが壊れる前に、どうしても一度離れる必要があると。
さらに、ジョンが一人では生きられない危うさを持っていることも、誰よりも理解していた。
だからこそ、才能があり、聡明で、信頼できるメイに、あえてジョンを託したように感じられます。

もちろん、それはヨーコにとっても苦渋の決断だったはずです。
実際、二人が恋愛関係に入ってからも、ヨーコは昼夜を問わず電話をかけ続けていたといいます。
自ら選んだ形でありながら、ジョンを失う苦しみや不安を抱えていたのだと思います。

また、ジョンの気を引くような行動や、他の男性アーティストとの噂を流したりする姿からも、達観した芸術家というより、一人の女性としての弱さや愛情の深さが垣間見えました。

一般的に、ツインレイにおける“サイレント期間”は、お互いの依存や執着を手放し、自立するために必要な時間だと言われます。
ジョンとヨーコにとっての「失われた週末」もまた、強すぎる結びつきの中で失われかけていた“個”を取り戻すための期間だったのかもしれません。

映画の中のメイは、若く自由で快活でありながら、ヨーコが見込んだ通り、とても聡明で思いやりのある女性に見えます。
彼女は繊細で複雑なジョンを深く理解し、心から支えていたように感じました。

実際、この時期のジョンは非常に創作意欲に満ちており、『マインド・ゲームス』や『心の壁、愛の橋』などの数々の名作を生み出しています。
さらに、メイのはからいで、長年疎遠だった前妻との息子ジュリアンとの再会、不仲だったポール・マッカートニーとの交流の再開、デヴィッド・ボウイやエルトン・ジョンらとの共演など、ソロ活動期の中でも特に充実した時間を過ごしていました。

一般的には、「失われた週末」はジョンが酒やドラッグに溺れた迷走の時代として語られることもあります。
しかしこの映画からは、ヨーコとの強い結びつきから一度離れ、メイとともに過ごすことで、ジョンが解放され、自由を取り戻していったようにも見えました。

ジョンはメイに多くの詩や絵を贈っており、彼女を単なる一時的な恋人としてではなく、深く愛していたことが伝わってきます。

ヨーコとの関係が、宿命的で激しく、人生そのものを変えてしまうような愛だったとするなら、メイとの関係は、彼を癒し、自由にし、本来の創造性や人との繋がりを取り戻させる愛だったのではないでしょうか。

しかし、最終的にジョンはメイのもとを去ります。

きっかけは、ヨーコがジョンに禁煙治療のセラピーを勧めたことでした。
ジョンはヨーコのもとへ向かい、そのまま戻ってくることはありませんでした。
メイは、再会したジョンが“洗脳されたように変わっていた”と語っています。
けれど私は、それもまた、ジョン自身の選択だったのだと思います。

メイを愛していた一方で、ジョンの中ではおそらくずっとヨーコの存在が消えることはなかった。
ヨーコがいなくても幸せなふりをしながら、ジョンも苦しんでいたのだと思います。
息子のジュリアンも、別居中でさえ、ジョンは常にヨーコのことを気にかけていたと証言しています。

最終的にジョンがヨーコのもとへ戻ったのは、外側の成功や自由だけでは、彼の魂は満たされ切らず、再びヨーコとの精神的なつながりが必要だと、気づいたからだと思います。
ジョン自身も後年、「あの期間を経て、ヨーコの存在の大きさを知った」と語っています。

それでも、その後もジョンは時折メイと会い続け、亡くなる直前の電話では「一緒にいられる方法を見つけよう」と伝えていたと、メイは語っています。
ジョンの中には、ヨーコへの宿命的な愛と、メイへの穏やかで自由な愛、その二つが同時に存在していたのではないかと感じます。

ヨーコが「魂を揺さぶる宿命の存在」だとすれば、メイは「魂の自立を支えた伴走者」のような存在だったのかもしれません。

そして、この映画で最も美しいのは、ラストのジュリアンとメイの再会の場面です。

ジョンの死後も、メイは前妻シンシアや息子ジュリアンとの交流を続け、深い絆を築いてきました。
ヨーコにはショーンという“愛の結晶”が残され、メイには、静かで優しい人との繋がりが残された――。

それが、この物語をただのスキャンダルではなく、切なくも美しい「もう一つの愛の物語」にしているように感じます。


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