今日も先日亡くなった坂本龍一さんを取り上げます。
生前、熱心に非核や反原発を訴えてきた坂本さんの発言が、訃報に際して再びネットで注目を集めています。
彼は10年ほど前に原発反対派の集会に参加した際に、政府の原発再稼働について以下のように語っています。
「長期的にはなりますが、すぐ止めろと言っても(政府が)止めないのでですね。我々にできることは何かといえば、電力会社への依存を少しでも減らしていくということですね。
(中略)
2050年ぐらいには電気などというものは各家庭や事業所や工場などで自家発電するのがもう当たり前と、常識という社会になっているという風に僕は希望を持っています。
そうなってほしいと思います。
たかが電気のために、この美しい日本、そして国の未来である子供の命を危険にさらすようなことはするべきではありません。
お金より命です。経済より生命。子供を守りましょう。日本の国土を守りましょう」
この発言に対する評価は分かれています。
まずは賛成派の意見。
「発言の全文読むと電気がいらないって意味じゃなく、原子力発電の代替電源目指そうという趣旨」
「一応自分でも全文読んでみたけど、確かにそうね。電気なんか要らないとは言ってない。発電方法を多様化していずれ原発が無くても済むようにしましょうよってこと」
その一方で批判の声もあります。
「全部読んだけど印象は変わらない」
「全文読んでもあの発言は批判されるべきとしか思えないけどな。
電気のために命かけてる人世の中に沢山いるし、それをちゃんと認識してたら『たかが電気』なんて発言出てこねえよ」
「まあ切り取りは誤解を与えかねないからどうあれ良くないとは思うが、全文読んでも電気不足が命に直結する人の存在を考えてない印象を個人的には抱いてしまう」
「スピーチ全文読んでも『たかが電気』としか読めない文脈だけどな」
とこんな感じです。
以下、私の考えを書きます。
まず、彼ははっきりと「たかが電気」といっています。
電気は必要ないとはいってないにしても、かなり軽く見ていることは間違いありません。
ただ、その意見は科学的知識がほとんどなく、思いつきでいっているだけなのです。
一顧だにする必要もないですが、坂本さんだから注目されたのでしょう。
しかし、彼はたかが電気といいながら自分はコンピュータを駆使した音楽をやっていました。
そして、録音やコンサートでも大量に電気を使用していたはずです。
また、長年ニューヨークに住んでいましたが、自家発電がそれほどいいのなら、なぜ地方に広い屋根の家でも買ってソーラー発電機を設置して生活しなかったのでしょう。
大体、電気がなくなればそのためにどれほど多くの命が失われるかを考えたこともないのでしょうね。
ついでに書いておくと、最近、急速に普及しつつある太陽光発電装置も代替エネルギーの代表といえる風力発電装置も、美しい日本の景観を破壊します。
恐らく「子供を守りましょう」とか、「日本の国土を守りましょう」といった口当たりの良い言葉を並べると人が感心してくれる上に、自分も気持ちがいいんでしょうね。
ただ、実際の生活となると我慢するつもりはない。
そういう沢山いる人たちの一人だったのでしょう。
一昨日に続き死者を鞭打ってしまいました。
どうも済みません。
では