イースターはなぜ グッド・フライデー?

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 グッド・フライデーは、イエスが十字架にかけられた日としては奇妙な表現に思えるかもしれません。無実である人間の残酷な死が、どうして「グッド・良い」と言えることができるのでしょうか。それは、敗北のように見えたものが、実は大勝利だったからです。
 イエスは、ただの善人や教師ではありませんでした。イエスは、特別な神であられる父のご計画のために、この世に送られました。イエスは、私たちを救うために、自ら命を捨てることを喜んで行いました。十字架で起こったことは偶然ではありませんでした。それは、全世界のための神の救済計画の一部だったのです。(イザヤ書53章5節、ガラテヤ人への手紙1章4節)。
 十字架上で、イエスは罪とサタンの力を打ち負かされました。イエスは、「私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(コロサイ人への手紙 2章14節)。イエスは、勝利の王として再び復活されました。グッド・フライデーは、神がイエス・キリストを通して、私たちを救われた日であるため、グッド、良い日なのです。

なぜイエスは十字架で死ななければならなかったのか?
 神は聖なるお方で正義ですから、罪を無視することはおできになりません。聖書によれば、「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」(ヘブライ人への手紙 9章22節)。しかし、神は同時に、愛と憐れみに満ちておられます。初めから神は、私たちの罰の身代わりになる者を送られることを約束されました(創世記 3章15節)。何世紀にもわたり、動物のいけにえが、罪を覆うために捧げられてきました。しかし、「 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。」(ヘブライ人への手紙 10章4章)。これは、完璧な犠牲であるイエス、「世の罪を取り除く神の小羊」を指し示していました。(ヨハネの福音書1章29節)。
 イエスは、本来私たちが受けるべき罰を受けるために死なれました。イエスは罪のないお方ですが、罪人のために死なれました。イエスは全ての代価を支払われました。イエスの死と復活を通して、私たちは赦され、罪からの解放、そして神との平和が与えられています。

イエスを信じる者になるには
 イエスを信じる者になることは、罪から離れ、イエスの赦しと新しいいのちに信頼することを意味します。それは、宗教や良い行いを通じて神の承認を得ようとすることではなく、神との正しい関係に回復されることです。この旅を始めるには、まず自分の必要を認識されてください。私たちは誰でも、罪を犯し、神の完璧な基準には達していません(ローマ人への手紙3章23節)。罪は、私たちを神から引き離します。ですから、イエスを信じてください。イエスが、あなたの罪のために十字架上で死なれ、永遠の命を与えるためによみがえられたことを信じてください(ヨハネの福音書3章16節、ローマ人への手紙10章9節)。最後に、悔い改めてイエスを信じてください。古い生き方から離れて、あなたの人生をイエスに捧げ、イエスを救い主、および主として従って生きてください。
シンプルな祈り
 「主なるイエス様、私は自分の罪を認め、自分の道を歩んできたことを悔い改めます。私の罪のために、十字架で死んでくださり、再びよみがえられたと信じます。どうか私をお許しください。私は自分の罪から離れ、あなたを救い主として信じます。私の救い主として、主として従います。私を愛し、新しいいのちを与えてくださりありがとうございます。アーメン。」
 もしあなたが、この祈りを心から祈ったのなら、あなたはイエスに従うための第一歩を踏み出したことになります。イエスは決してあなたを見捨てることはなく、信仰の成長と共にあなたを導いてくださると約束されています。

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