ここが見たい。ここに行きたい。
その日は、朝から少し疲れていた。
その中に入るのに、靴を脱ぐのが億劫だった。
けれど。
中に入ると、そこはもう銭湯ではなく、
佐々木類さんの作品がそっと息づく、透明な世界だった。
脱衣場、浴槽、タイル。
かつての温度や湿気を思い出すような空間の中に、
ガラスの作品が静かに天井からつり下がっていた。
ガラスの中には、土地に生きる植物たちが閉じ込められていた。
しかし、それらは確かに「死んでいる」のではなく、
ここに生きていた痕跡を、そのまま宿している存在だった。
見つめていると、ふと胸の奥に浮かんだ。
「閉じ込められた植物たち、それは確かに生きていたのに。」
そしてすぐに浮かんだもうひとつの気づき。
「ここもそうだ。確かにそこに人がいた。」
この場所で、湯気の中で会話した人たち、
日々の疲れを流しにきた誰かの姿。
そのすべての「痕跡」「影」が、この空間にはまだ薄く残っている。
それが、ガラスの中の植物たちの存在と重なって見えた。
息をするたび、
「生きること」と「残ること」と「閉じ込められること」
その境界線が曖昧になっていく。
ガラスの冷たさと、植物のかつての温度。
生と死の間のような透明な揺らぎ。
人の気配が消えた銭湯の、かすかな記憶。
すべてがひとつの光の中で静かに共鳴していて、
まるで「見えない声」が空間全体を包んでいた。
作品を見つめている間だけ、
時間がほんの少し、後ろへ流れはじめたような気がした。
あの場所に確かにあった“生”が、
透明なガラスの中でふっと浮かび上がってくる。
暗がりの銭湯から外へ出た瞬間、
まぶしい光が、そっと私を包んだ。
疲れていた身体が、植物が光合成をするみたいに、
光をすうっと吸い込んでいく。
心の内側にも、透明な光がシャワーのように降り注いでくるのを感じた。
瀬戸の町には、過去と現在が静かに重なりあう瞬間がある。
佐々木類さんの作品は、そのひとつを、
ほんの少しの時間だけ、私の胸の奥に灯してくれた。
ガラスに閉じ込められた植物たちの“生の残り香”が、
今も静かに、自分の中で息づいているような気がする。
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