こんにちは、Nanaです。
小学6年生の娘が卒業文集を書き、それを提出したところ、先生から見て少しネガティブな表現があったようで、それを訂正されていました。
それ以外にも訂正されている箇所がかなりあり、「ここはこう書き直して」「ここの文章はいらない」などと、赤ペンで訂正された箇所がたくさんありました。
私も一緒に学校に行った時に、「お家で訂正して書き直して、清書に書いてください」と言われたので、その通りにしていたのですが、清書を書いている時、娘はかなりイライラしているようでした。
そして娘が言った言葉は
「これは私の文章じゃない。こんな文集いらない。」
と言ったのです。
私はハッとしました。
最初の下書きを書いた時は、考えながらも自分の言葉で、自分の想いや感情を込めて書いた文章だったはずです。
それが例え、大人から見たら「こうした方が見やすい」とか「表現の仕方がこっちの方が見栄えが良いから」とか、色んな意見があったとしても、訂正して書き直したらそれはもう自分の言葉ではないのです。
もちろん本人がそれで納得して書き直しすのであれば良いのですが、娘は全く納得せず、かなり不満があるようだったので
私は「自分が納得しない文章は書かなくて良いよ」と言いました。
納得しない文章が卒業文集に載っても、嬉しくないと思います。
もう清書を提出しないといけない時期なのですが、先生に言って、元の下書きのまま清書にするのか、娘が納得しなくても訂正された文章で提出するのか。
これから先生に相談するので、まだどうなるかわかりませんが、私が今回の件で思ったことは
この卒業文集って、誰のために作ってるんだろう?
ということです。
子供達が自分達の6年間の想いを表現した文章を掲載できるものなのか、
それとも文集を見た人に「良い文章書いてるなぁ」と思われるための文章を書くものなのか。
自分優先なのか、他人優先なのか
そんな事を思ってしまいました。
自分らしく生きよう。なんて世間ではよく言われてますが
実際それをしようとすると、止める大人は多いし
それを認めない社会がありますよね。
それを気にせず、我が道を進めればもちろん自分らしくいきられますが、子供は基本的に大人の影響を強く受けるので、「これが正しいんだよ」という教育を受け続ければ、「自分らしさがよくわからない大人」が出来上がるんじゃないかな。