「悩んでない」と言葉では言いながら、実は悩んでいた
家庭教師として指導している、不登校気味の生徒がいます。
中学3年生になり、そろそろ高校を見据えるタイミングです。
「学校で何か嫌なことあったりする?勉強とか友達とか」
「いや、勉強とか友達の悩みはないです」
友達の輪に入れないとか、勉強についていけないとか想定できることはたくさんあったので一つずつ質問してみたけど、どれも当たりません。
「自分なりに学校に行きにくいなって思う理由とかは考えたことある?」
「学校がある日の朝、起きれないんです」
「夜は寝るのが遅いの?」
「遅くても0時くらいには寝るのでそこまで遅く
ないです」
「いつもはスムーズに眠りにつける?」
「学校に行けなかったらどうしよう、、って考え
てしまって中々寝付けないんです」
「悩みは無いって言ってなかった?」
「あれ?」
こんなやり取りがありました。
親御さんでも本人でも気づくのが難しいことはたくさん
これは、「自分では特に悩みはないと思っていたけど、深掘って聞いていくと実は悩みがあった」という例です。
そして、このことを親御さんにお話ししたところ、次のようなお言葉をいただきました。
「そうでしたか。私にはそういうことを普段全く話してくれないのに、先生には何でも話してるのでびっくりです。」
とても光栄でした。
そこから、生徒と心の底から対話するには単なる授業よりも、カウンセリングあるいはコーチング的要素のあるコミュニケーションの重要性について再認識するようになりました。
ただ、なぜ子供は親に本音を話しにくいと感じるのでしょうか。
僕が思うに、親子関係というのは色んな側面で「近すぎる」という部分があるのだろうと思います。物理的にも、心理的にも。
親子の会話で自然とそのようなやり取りが生まれるのが理想ですが、なかなかそうはいきません。どの家庭にも言えることです。
一方で、学校の先生はどうかと言えば、日々忙しい。教員の働き方の話題も昨今になってようやくニュースになり始めましたが、まだまだ現場は忙しいという話を聞きます。これでは、生徒の心に「近づく余裕がない」となっても当然かなと思います。
大切なこと
優しい親御さんほど先回りして子供のために色々やってあげることも多いイメージです。もちろん、そのおかげで子供が生き生きと生活できている例も見かけます。
ですが、たいていの場合、そう上手くはいっていないことが多い。その優しさを子供が本当に求めているかをちゃんと確認できている家庭は少ないものです。これも先ほど上でお伝えした、「近すぎる」という点が多少なり関係していると思っています。
ただ、優しさは素晴らしいものだと思います。「愛」です。
でも大事なのは、「子供起点で」色んなことをトライさせてあげること、だと思います。自分でやってみて、できたなら達成感を得られます。一方、やって失敗したなら全て自分の責任。どうすればその状況を打破できるかを子供が自発的に考え始めるはずです。子供からどうしても助けが欲しいと頼まれたら、手を差し伸べてあげればいい。子供が求めた助けなので、感謝の心も育ちやすいことでしょう。
このアクションは同時に、「近すぎる」立ち位置から「少し距離をとる」ということでもあります。「ひとり暮らしをして初めて親のありがたみがわかる」という現象に似ていると思います。
自分起点のトライアンドエラーは、仕事や人生そのもの。それを小さいうちから習慣づけられている子は、大人になっても挑戦心と成長マインドを保つことができるはずです。
終わりに
「子供のことで悩みはあるけど、子供は心を開いて自分と話してくれない」そう思っている親御さんは多いのではないかと思います。
それは、もしかしたら親子が「近づきすぎている」ことが一つの要因かもしれません。
習い事から部活動、日頃の生活習慣で「子供が自分で意思決定をできる場面」はたくさんあります。それを積み重ねることで徐々に自信が芽生え、前を向いていける兆しになるかもしれません。
「かもしれません」とお伝えしているのは、子育てには正解が無いためです。
あくまで一つの考えられることとして参考になれば嬉しいです。
だから、「何をやってもうちの子は…」という感情が浮かんだ時ほど、立ち止まる合図だと捉えることが大切なのかなと。