4月25日。カレンダーに何の色もついていないその日。だが、それは罠だ。無色透明ほど毒がよく溶ける器はない。
目覚ましは鳴らなかった。鳴らなかったのに、なぜか目が覚めた。部屋は静かすぎて、耳鳴りが心臓の鼓動と重なり合い、やがてそれすらも溶けていった。今日は――あの日だ。年に一度、時間がねじれる日。4月25日。
人々は気づかない。桜が散り、日常に戻ったつもりのこのタイミングで、何かがすり替わる。現実の一部が剥がれ落ち、代わりに置かれるのは“正常を模倣した異常”。通勤電車の中に見慣れない顔が一つだけ増えていることに、あなたは気づけない。だが、その顔は昨日のあなただ。
ニュースは流さない。SNSは黙っている。だが、4月25日だけはインターネットが深呼吸をする。検索してはいけない言葉が、いつのまにかトレンド入りして、数分後には消える。記録も残らない。それを見た記憶すら、翌朝には曖昧になる。ただひとつ、消えない違和感だけを残して。
地下鉄のホームには時計がない。4月25日の午後3時には、影が地面を逆に流れる。公園のブランコは、誰もいないのに揺れている。そしてその軌道が、人間の心電図と一致することを、知っているのはごくわずか。
4月25日。
この日は“正気”という名の鎖がゆるむ日だ。
だからこそ、狂っていなければ逆におかしい。
おかしいのは、まだ何もおかしくないと思っているあなたなのだ