皆さんお元気ですか。
先々週より前かな、子供が学校でインフルエンザをもらって帰ってきたんですよ。ああ〜絶対ヤバイ、危ない、と思った数時間後、案の定移ってしまい、そのまま高熱だして、重症化して倒れてしまったんですよね。(^^;)
薬も普通の効き方をしない特殊体質なので、もはや関西ではちょっと治せる状態ではない、と、衰弱がすすみ収まらない回転性のめまいを治療するために手探りでフラフラしながら、新幹線で東京に行きました。そして、主治医から治療を受けて、東京の事務所で療養してからまた京都に戻ってきました。
クライエントさんたちへの納品が遅れてしまったのですが、快く待っていただき、その節は本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
今のところ、老人と同じようなペースで、体の声をききながら絶対に無理せずに生活しているのですが、今回、本当に生き方を変えなくてはいけない、と強く思いました..。
祖先からの影響で車騎星っぽい気質をもってますが、私にとって車騎星は、活かしすぎるとバランスを崩しやすい忌神なんですよね。
だから、目的のために多少無理してでも仕事バリバリやってく車騎星っぽさで生きれば、知らない間に無理がたたってしまうのですよね。
そして、体がおかしくなって、あれ?なんか変だ、どうした?と気づいたときには、なんてこったい!〜ってパターンですよね。
でもパートナーも車騎星ですんで、どうしても車騎星ムードに流されて自分もせわしなく動いてしまいます。
なんちゅーか、周りでめっちゃ働かれると、こっち休もうにもお茶飲んでても落ち着かねぇんだわ!(怒)
伝達意識が強い自分は、なんか手助けしなきゃいけないかなって気になっちゃうじゃないですか〜、車騎星たちよ、君らは、なんであんなに動くんだぁ!
わが道行くように見えて意外にも、会社づとめしたら自分、残業してる同僚に悪くて、定刻に帰れないタイプかもしれへん....(汗)
しかし、今回は、あまりに辛かったので、本気で懲りて、車騎星に流されてしまうそのつけが、こんなところに出てきたのだ、もう体育会系のアイツラについていくのはやめようと心から観念した次第です。w
ちなみに臨終のとき、車騎星さんは長々と病床について永眠する人は少ないと言われています。ある日、うっ!!といったかと思うとヒートショックなのかわかりませんが、突然の心臓発作でバタっとか、思わぬ事故であっけなくとか、ピンピンコロリというのでしょうか、前日までハッスルして動いていたのにまさかあのじいさんが?!というような突然死型が多いと言われています。
基本的に泣き言を言うのが嫌いな人たちですので、病気にも負けたくありません。なんだかんだでギリギリまで頑張ってしまうのであろうと思われます。
いや、そうはいっても、あなた人間ですから、車騎星さん、なんだか嫌な予感がするなぁと思ったときは、自分の勘に従って、ちゃんと健康チェックしに病院に行ってくださいね。w
そんなわけで、今後は、歩く副交感神経・鳳閣星意識で生きる必要があることを痛感した自分。鳳閣星さまについていこう!とおもったら、すでに傍らにいてくれた、ありがたい鳳閣星さんが、例の韓国人の友人ですよ。(涙)
彼女、鳳閣星で無理しないし、細かいことにうるさくない。思ったことはちゃんとその場で言うタイプ。
言わないってことは気にしてないってことなので、こっちも察するというような回りくどいことをしなくてすむので気が楽。
だから一緒にいて楽しんですよね。自分もいい感じに堕落できる。w
ちゃんとやらにゃいかん、と肩に力入っても、いやいや、そんなの大したことないやん!という方向へ鳳閣星さんは、強力に引っ張ってくれる。
そして、流された自分も「そうやね〜無計画にすごそ。」
話しすぎちゃったかなぁ〜時間取っちゃって悪いなぁ〜って、日本人の友人とは気を使ワズにはおられず、いつあとからどんなことで思わぬクレームが来るだろうか、という危機管理の方へ意識が向かい、自分は日本人との付き合いに置いては、あとあと気にかかってしまうことのほうが多いんですけど、この庚の鳳閣星さん、人に細かすぎる気遣いなどしません。ぶれません。w
そして、おしゃべりそのものを楽しむ。行動や成果ではなく、ムードを楽しむので長話を厭わないし、気遣いしないことが気遣いというか、こっちにもありのままで問題ない、みたいな居場所をくれるんですよね〜。
でも、行動においてはめっちゃ気遣いしない彼女は、本当にほしいところには気遣いしてくれる。その絶妙さには、毎度感動する。
そして、先週、同じようなタイプの日本人の美容師さん(男)に会ったんですよね。
めっちゃ京都の職人っぽいなぁって、自営業っぽいなぁって思った。
お客さんだろうがなんだろうが、人として大事なことは、変わらない。
僕は同調圧力関係なく、自分のルールに従い、ガンガン突き進むんで。そのほうが後悔ない人生送れる。
みたいなことを、初対面の客の自分にも気兼ねなく言っちゃえる人間性がよくて、一癖あるこの美容師さんが、一気に好きになってしまった。
この人も、居場所をくれる人だなぁ!と嬉しくなっちゃったんだよね。
人に合わせて気遣いしてくる接客って、こっちが気を使って、なんだか疲れてしまう。察して動いてくれるよりも実は、お客さん側から水とか欲しかったら相手に「水ほしい、もらえる?」って気兼ねなく言える関係性を作ってくれる接客の方が、よほどありがたい接客なんだけど、あくまでも距離をおき、執事のように察するサービスにこだわるんよね。日本人。
気づけ!察しろ!ってエスパーみたいなことやってたら、めっちゃ疲れる。
少し話はズレるけど、日本人の良くないコミュニケーションの話ね。
昔、漫画・島耕作の作者が中国人とは?を語っていた本の中で、中国人に取材してたとき相手の収入を訪ねたら、「逆にお前はいくらなんだ?」と聞かれたことがあったそう。作者は収入を口にするのははしたないとか金持ちと思われたくないと思って答えなかった。すると「ならば俺たちも答えない。」と以後、情報を貰えなかったという。
そりゃそうなんですよね。
親しいお付き合いというのは、相手と自分とに利益があるように対等に情報開示しあわなくちゃなんないものなんですよ。
なのに日本人は友達に対して、そのマナーを守らないですよね。
島耕作の著者は、相手に悪く思われて不利にならないように自分の重要な情報はうまく隠して、相手の意図や情報だけ取ろうとしたわけだけど、中国人はその情報開示の度合いを感じ取って、こいつとはそこまでの関係性と見きって、線引きをした、って言うことなんですよ。中国人は仲良くなると、ファミリーみたいな付き合いをすることがありますが、相手が家族づきあいできるようなくらいのレベルでひとを大切にしようとしている人かどうかを見ます。
だから自分の手札を隠した日本人は、信用できる仲間ではない。彼らからしたら、この日本人こそが厚かましいわけです。
実はこれは、たまたま彼が会った中国人がそうだった、というわけでなく、鬼谷子の思想の中にもあります。鬼谷子さんってのは、日本では算命学の始祖といわれる人ですね。
そして、自分が日本人のママ友?と交流していて、苛ついて、日本人嫌いだ、と思うときって言うのは、ホントこれに抵触したときですね。
日本人って、コミュニケーションマナーが無いです。
対等性というか、人と対峙したとき、情報の公平さみたいなのを意識してないので、めちゃくちゃ厚かましいんですよ。
自分のことは全然話さず、自分の意図やポジションはグレーゾーンにおいておきながら、相手から好意を集めようとし、情報はしっかり取ろうとする。
それが、自分はめっちゃ嫌いなんです。
具体的にどういうことかって言うと、政治とか社会問題とか、ワクチンだとか、なんでもいいんですけど、批判的な見解があっても当たり前の、あるテーマについて、だれかが悪口言うとするじゃないですか。
そしたら、大抵の日本人は悪口言いません。
慎みます。
これ、人間として、日本人の大半が、自分をできた人だと思いこんでます。
悪口を言われたら、自分も言われるから怖い、って思ってるかもしれません。
そして悪口を言う人間は信用できない、といった日本人もいました。
自分は逆です。親しい人との間でなにかの悪口も言えないとしたら、それは友達ではない。絆ができあがっているなら、たとえそこで見解がちがって、揉めたとしても最終的には修復できるというお互いの信頼があるわけじゃないですか。実際の関係性は、意見がちょっとでも相違したら壊れてしまう仲だとわかっているからこそ、本音を隠すんです。
つまり、その人間関係、友達ではないです。
でも、モンゴル人や中国人や韓国人の仲いい友人の態度は違います。
悪口や否定的な内容を伝えたとしても、どんなことであっても、そのテーマについて、自分のポジションをはっきりさせてくれます。
自分も嫌いなら、嫌いと表明するし、逆に反対の立場で、好きならば好きだと構わず表明します。そして、相手を変えようとしない。
日本人は、こういう場面では相手から嫌われたくないので、自分の意見やポジションを隠し、「良い子」「いい人」「善人」を装います。
相手の聞き役になって、意見を濁して、自分の汚点を残さないようにします。
で、実は、そういう本音を口にしようとしない相手を警戒せよ!
それは、「敵」だからだ、といった人がいます。
軍師・鬼谷子です。
情報や自分の意見のポジションを隠す人は、例外なく自分の敵であるからすぐにお付き合いを辞めなさい。と。
これを読んだとき、あ、僕もそう思ってます。って思いました。
だから日本のママ友の大半の、悪口いっぱい言ってるバカ正直なやつよりも、むしろ、とくに悪口を言わない、優等生ママが大嫌いなんです。
そういう人たちを、自分は自己保身に長けた、一番ずるいやつとみなしています。本当にいい人だったら、自分のポジションを明らかにする人ですから。
そして、多分なんですけど、韓国の友人も美容師も、ひねたとこがあると、普通の日本人は敬遠するかもしれないんですけど、自分はむしろ信頼できると思うんです。自説をもってる人こそ、自分がぶれたときに、いつも通りの口調でそれをちゃんと言ってくるような気がするんですよね。ゲイの友人もそうだったけど、「あんた、今自分らしくないね〜」って、僕にとってデメリットになるとおもったら、肝心なところを思いやりながら、率直に伝えてきてくれると思うんですよ。
でも殆どの日本人は、そういう場面では「怒らせたくないので黙っておこう。」です。悪く思われたくない、恨まれたくない。しばらくフェードアウトして、機嫌のいいときにまたコンタクト取ろう。
って、相手の人間の中身と付き合おうとしないんですよね。
面倒だからですね。友達っていうのは、対等性を言うけど、そういう関係というのは、まず対等じゃないんですよ。心のなかでは相手を見下してる。
だいじょうぶ?頑張ってね?なにかあったら言ってね?
日本人はよくこれ言いますね。
全部、いい人と思われるためのセリフ。そういう嘘くささが、自分は非常に嫌で、そのくせして彼らは自分に多くの友人関係があると思っているので始末に負えないと思う。
韓国ママも、多分その美容師も調子の悪い時ほど「どうしたよ?気分転換しに行こうや」って関わってくれる気がする。
そういうのがめっちゃ温かいなぁって思う。
我が強くてわがままに見えるひとたちだけど、相手の強さを信じているから、なにもしない。でも、冷たくない。さりげない気遣いが優しい。
そういうのが、すっごいここ、京都っぽい、と自分は思う。
京都人の京都人による京都の世界とはまた違う、京都に集まる(いい意味で、ちょっとひねくれたところのある)よそ者同士の作る世界なんだよね。
東京は「良い人」を演じるけど、他人に対する本当の愛情や思いやりはない。
不都合になったら、さ〜っといなくなる人ばかり。
でも自分の得になると思えば、節操なく集まってくる。
自分の持ってるもの、相手の持ってるもので、短絡的に人を測る。
それは外からいろんなひとが流動的にはいってくる都会ならではの現象なのかもしれないけど、京都は東京とは全く違う。色んな意味で学者肌だったり、芸術肌というかこだわりやの人が、京都に住み着いたら、京都から出ない。
なんだかんだで、こだわりやには居心地がいい。
もちろん合う人合わない人いて、悪口も言うだろう。
でも、それでも社会が、「あの人はああいう人」と個性をそのまんま「慣れ」て受け入れていくところが京都にはあって、悪口言われてもイコール拒絶されてるわけではない、というのが東京との違いだと思う。
東京の悪口はそのまんま拒絶・否定だから、悪口を言われないように良い人に振る舞わなくてはならないし、自分の汚点をできるだけつくらないように過剰に自己防衛して暮らしている。
そして京都でもインターに子供を通わせるような親というのは、この東京型が多かったので、せっかく京都に来たのに、たちまち学校で自分は気が滅入っていった....。東京の高額教育費の教育機関にゴロゴロいるようなのと同じ、意地悪でエゴイスティックで優位性を勝ち取りたいママの割合が結構学校に多いためだ。
韓国ママともインターで出会ったわけだけど、韓国ママとそういう親たちとの違いは大きい。ビデオ動画をとっても、きれいな家しかうつさない日本人ママと違い、この韓国ママはめっちゃ生活感だしたままビデオメール送ってくる。それでも僕に拒絶されない、見下されないと僕を信じてくれてる、っていうのが、嬉しかった。信頼のバトンを渡してくれる。
つくらない。見栄はらない。それがどれだけホッとするか。
そうだよねぇ、雑誌みたいな生活できるわけない、子育てしてたら!って、こっちもそのまんま撮影できるようになった。
日本人ママには、どんなにやり取りしても自分の不平不満を言ったら、遠ざかっていくよなぁ〜と警戒するので、どうしても相談したり、自分のために時間をとってもらったりするのは躊躇するけど、この韓国ママには気兼ねなくなぜか言える。時間作って会ってよ〜って言える。
自分の居場所が、彼女のところにはある。そして、愚痴を言っても関係性が変わらないような気がする。日本人との間で求めていたけど、友達ができなかった理由って、本当にこの差なんだよなって、心底実感してしまった。
韓国ママは調舒星をもっているので、ふつーに、毒舌展開することを楽しんでいる。それはこっちにとっても嫌じゃなくて、そういう考え方や視点もおもしろいなぁと、なるほど〜と刺激的なんである。
もしかしたら、彼女は生年中殺なので、社会の生き方の大通りから、全然外れても平気なタフネスがあるし、人のしてない経験値をたくさん積んでいて、それが宿命中殺同士、ほっとできるのかもしれない。
でも、思うのよ。今の日本やばいなぁって。自分はほんとに思う。
つながってないのにつながってると勘違いしてる、都会人、ホンマにやばい。こんな上っ面の付き合いで、勝ち組気取って、いい人仮面被って生きてる人たちは、本気で世の中が大混乱になったら、どーすんのかな?って人ごとながら心配する。
災害とか戦争とかもそうだけど、自分一人だけでは生きていかれず、だれかの協力の下にやっと生きていくことができるとかいう世界になったとき、上っ面は自分を救ってくれるのかな?って。
本当に危機がやってきたときこそ、自分のことを思ってくれてる人とそうでなかったひとが、そこではっきりしちゃうと思うんだよね。
そして、そうなったら、そういうひとたちは、人が人にこれほどまでに関心がないことにびっくりするかもしれない。なんとなく慣性の法則で、一緒に毎日毎日、好きでもない人たちと集団行動しているだけで、本質的には誰一人、自分を見てないし、自分も他人を見てない。
興味ない、関心ない。人に囲まれていて、同じことをしている限りは、自分は孤独じゃないと思い込むことにして、「社会問題」が転がっていても自分の延長線上で思いやることもない。結婚もめんどくさい。子供もめんどくさい。
かわりに自分本位で可愛がれるペットを飼おう。
礼儀正しく権威には従順で、誰からも悪く思われないかわりに、誰からも人として重視されない。
どれだけ自分の周りの人が本気で自分を思ってくれているんだろう?
って考えたことがないから、家族関係も当たり前。親にも子供にも、礼儀を払わない。自分がどんな振る舞いをしても、家族が今日のまんま、つづいていくと思い込んでいる。
無関心がふえているってことは、世の中の愛が冷え込んでいるってことなんだよ。誰かのために身を切る幸せがわからなかったら、愛もわからない。
ほんま、やばいよ。今の日本。
僕はプロファイラーをやっている。
プロファイラーといっても犯罪系のプロファイラーではなく、ライフ・コンサルタントである。占いカテゴリーにお客さんが集まるので、占いカテゴリーに出店している矛盾はあるけども、自分は率直に言って、占い師ではないと思ってる。人間分析のための技能をつかって、確率的に高い行動を予測したり、その人の思考のパターン、性格、好みなどを順に特定していくような感じで問題の解をだす、シャーロック・ホームズと似た仕事だと思う。
ただ、それが、大陸の密教世界で使っている学問をベースにしているというだけなんだよね。
プロファイリングについて、調べるとこんなふうに書いてある。
(Wikipediaより)
プロファイリング (offender profiling, criminal profiling) は、犯罪捜査において犯罪の性質や特徴から行動科学的に分析し、犯人の特徴を推論すること。プロファイリング (profiling) そのものは犯罪捜査ばかりではないので、日本語で正確に表現するのであれば「犯罪者プロファイリング」が正しい。テレビドラマで「プロファイリング」という言葉が犯罪者プロファイリングを指していたため、「プロファイリング」というと犯罪者プロファイリングを思い浮かべる人が多い可能性がある。
プロファイリングの歴史がどこから始まったのかは明快ではない。例としては1880年代の英国で起きた「切り裂きジャック」事件の性格を予想したイギリスの警察医のトーマス・ボンド(英語版)がおり、このプロファイリングは後に連邦捜査局(以下FBI)のプロファイラーが推測した犯人像とも一致しているが、犯人逮捕に至らなかったため捜査に生かされたかどうかは定かではない。また、別の例としては、犯罪学の父とも呼ばれる精神科医チェーザレ・ロンブローゾ(1835-1909)が、骨相学・病歴などの3つの分類から犯罪を起こす人物の特徴を得ようとした[2]。
第二次世界大戦当時にはアメリカOffice of Strategic Servicesが精神科医に委託してヒトラーが敗戦にどのような反応をするかと言う予測を立てた[3]。
嚆矢と言えるのは大戦終了時にナチス戦犯容疑者を捜査するチームが取った「チェックリスト作成方式」である。膨大な捕虜の中からナチスの高官をふるい分けするためにナチスの高官が所有していそうな持ち物などの要素リストを作成し、それに基づいて詳しく調べる人物を絞り込んだ。この重点調査人物を絞りこむのに効率化を図る考え方がプロファイリングの基礎となる。
(転用終わり)
取り扱ってるのは犯罪ではないけど、非常に高度に体系化された意識世界の図形を知り、クライエントさんからの事情聴取をとおして、法則性に当てはめて、相手の人生パターンのなかで、一番高い確率を割り出し、答えを解析していこうという試みをしているっていうのが、自分の仕事を一番言い表しているので、自分はプロファイラーだと名乗ってる。
このプロファイリングがもっとも生きてくる世界というのは、すでに死んだ人とか、会えない人とか、言葉にできない子どもたちの意識世界(心理や動機)を親に伝えられることだと思う。
でも、どれだけの親が、自分の子供のこころに本気で関心を持ってるのだろうかと、最近はよく思う。
インターナショナル・スクールでみた親子たちを眺めて、一番自分が問題に感じたのは、こどものご機嫌伺いをすること=自由にのびのび育てる、と履き違えていたりして、一線踏み越えたらいけないよというような、社会的なけじめを教えられない親が多いこと。
そして、勝ち組にしたい気持ちが強すぎて、こどもが言うなりにならずに脅しのように勉強させている親も多いこと。
そんな人間関係性のなかで、どうやって友だちになることを学んでいくんだろう?本当の信頼関係の築き方はどこで学ぶんだろう、と心配になる。
大人の友達関係ですら、内申は相手のことなど無関心なので、親子の間でも無関心がはびこる。親との関係性から友達を大切に思いあう気持ちが学べないまま育ってるから、子どもの世界でもいじめが多いんじゃないだろうか。
例のインターナショナル・スクールのクラスメイトたちのおぼっちゃま、おじょうちゃまたちのいじめも、公立とは比べ物にならないほど、本当にすごかった。(でも学校は無関心だった。)子供にストレスが溜まりすぎている。
あ、そうだ、今日、整理整頓していたら、こんな本を見つけたので、子育て中の人におすすめしたい。シュタイナー系の教育書なんですが、優等生型の親にならせようとする日本の不自然な教育書より、なるほどこう考えればいいのか、と参考になります。
ドイツ人?の子育ての話だと思うんだけど、威圧的で、子供ぶっ叩いたりする親がでてきたりもするし、誰もが子育てしていて直面するエピソードについて、さぁ、どう考える?みたいな具体性がとても良かったんですよ。
おとながこどもにできること―シュタイナーのこどもの育てかた [単行本]
ローター シュタインマン(著)、鳥山 雅代(訳)
この本の中で、目にとめて共感した部分は、子どもたちが言うことを聞かないのには、必ずその行動を支える子供の考えがある、それを理解することの大切さを書いたところでした。これは、プロファイリングと非常に通じる考え方だなぁと思います。
親は子供に言うことを聞いてもらいたい、と強く思うけど、子供がどう考えているのだろう?ということは、あんまり考えてない場合が多いです。
大人の世界でも同じで、まず言う事を聞かせたいと思うのなら、相手がどう考えるのか、ということをまず考えないと子供が自らやるようにはならないんですけども。
でも、まぁ、それを知るのが、もしかしたら普通の人にとっては、一番むずかしいことなのかもしれないですよね。
先日もお子さんが、プレゼンテーション(発表)が苦手で、英才教育してきたけれど、未だに全然英語も発しないので心配している。
というお話がありました。
教育者や周りの人は、「そのうち話せるようになるから焦らないで」とアドバイスしていて。まぁ、一般的で無難で(無責任な)アドバイスですよね。w
宿命を見ましたら、案の定、その娘は、伝達の星が人体図にないんです。
「いや、そのうち、はないよ。これは、ちゃんと働きかけないと、自然に喋れるようにはならないよ。」というお話をその娘の親に、自分はしました。
なぜ喋ってくれないんだろう?とお母さんは、私の教育が間違っているのか、と半泣きで焦ってもいたんですけども、
その娘にしてみたら、親の期待にはこたえたいと思う気持ちはあるものの、(主星は車騎星さんなんで)なんで見てわかることをわざわざ口に出して発する必要があるのだろうか?
って思うんですよね。
伝達の星が宿命にある子供は話しなさい、自己表現しなさい、といわなくても、経験を重ねればできます。
でも、伝達の星がもともとない子供にとっては、絵の具だけをみせられて、ハイ、絵を書いてください、って言われても、絵を描く所をみたことがなければ、そもそもどうしていいのか、何が求められているのか、全くわからない状態なんですよ。それと同じことなんです。
だから、「この娘には、見本がいるんだよね」ってお話をしました。
「シャイで、人前に出たがらない」というお母さんの話ですが、本当にシャイなのか?と自分は、人体図を見ます。
禄存星がいっぱい、そして天貴星が2つもあります。
全然、シャイなんかじゃありません。
じゃあ、彼女は、なぜ表に立てないのか。
本来得意なはずのパフォーマンスを堂々としてゆけないのか。
失敗して、先生や親をがっかりさせたくないからです。ひとからどう見られるか、好かれたい、を過剰に気にして活きる娘ですので、人前で絶対に恥をかきたくない。
そして何事も人の反応が無性に気になる。
喜んでもらいたい気持ちが強いからこそ、ちょっとでも否定的な反応はもらいたくないんです。そして、プライドが高いがゆえに、自分がすでにできるという優位な立場から、なにかをやっていきたいんです。
この気持ちを汲み取らない限り、どんな教育ノウハウを使ったところで、子供の可能性を開いていくことはできません。そこを汲み取って導いていく教育者との出会いがあればいいですが、普通のこどもと同じように、教師が頭ごなしに叱ったら、ダメージはでかいですね。一生の傷になったりもします。
なにを一番嫌がり、どうであったら、子供は自分を開発していけるのか。
そして、この心理的な動機の要素を無視して、親が圧力をかけたら、硬直状態になりますね。僕なら、そういう娘はこう伸ばします。
こういうプライドの高い娘というのは、自分よりもできない子供の見本になったり、先生になってお世話をすることによって、伸びていくタイプでもあります。
だから天貴星2つの女性は、自分が優位にたった位置で、自分よりだめな人をお世話することで自分が伸びるので、ひも男を引き連れることで満たされる、などと言われることがあるのです。
(芸能人で言えば、神田うのさんとか、浜崎あゆみさんがそうだったかな?)
そういう人は、素直すぎて物事の裏を読むのが苦手ですので、ステップアップのレールにいつの間にか乗せて、気づいたらできている、というような習得方法を与えてくれる教師を探すか、親がすっとぼけて考えます。
子育て本や子育て一般論などは、子供の個別の動機までわかって書いているわけではありませんので、なんの役にも立たないでしょう。
そして、なぜできないの?と焦る母親を見て、自分がなにかまずいんだ、できない自分が悪いんだ、と子供のほうは責任を感じてしまうでしょう。
これはいくら聞く力、コーチング力があったとしても、児童カウンセラーでも、医療カウンセリングでも、教育者の子育てアドバイスでも、この生き方導線や動機は特定できないことだと思います。
そういうときに、僕のプロファイリングが力を発揮するわけですね。
一緒に何年暮らしていても、家族のことって殆どの場合、全然わかってないんですよ。全然土台がわからないのにもかかわらず、一般的な親というのは、子供を自分の価値観のフィルターの中で、「何者か」にならせようとするんですよね。でも、残念なお知らせです。
こどもは生まれた時点で、ある程度、すすんでく生き方というのが決まってます。知能指数だってある範疇におさまってて、小学生のIQ80が努力しつづけて思春期になったら、IQ160になるようなことは絶対に起きません。
偏差値教育に熱心なお受験ママたちというのは、この自然法則を無視して、お金と教育を詰め込んで、子供をなんとかしようとするんですよね。
子供がもって生まれたまま、その土台の中で、子供にとっての最良の環境を整えてやることくらいしか、親というのは最終的にはできないんですよ。
やれば必ずできる、は幻想です。それを信じて、親がこどもの環境になるんじゃなくて「支配者」になってる親がどれだけ多いか。
子育ては、もって生まれた土台は、(ちょっとしか)変えられないんだ。という現実に気づくことから始まります。そしてそもそも、変えられない部分を受け入れて、変えられる部分でうまく調整しながら子供がより楽しく人生を送れる工夫はなんだろうか、と考えることしかできないですよ。
韓国というのは、めっちゃお受験国家ですんで、韓国の母親は早期教育の鬼です。そういうカルチャーです。でも、自分の友人の韓国ママは、珍しく、今日こんなことを言っていました。
息子をお受験塾にいれて、私立の学校に受からせるため「受けの良いいい子」を演じる訓練させられたり、塾の教師に強圧的にこどもが叱られているのを何度も見るうちに「自分はなにをやっているんだろう?」と疑問をもったそうなんです。
でも私立のパンフレットには、入学後は「個性や多様性を重視した教育」と書いてある。教師たちにとって都合の良く、お行儀の良い子に矯正された子供だけを合格させるくせに、入学したら、いきなり個性を発揮せよ?だと?
今まで自分らしさや自分の意志や自由をつんどいて、それはなんだ?!
日本の私立って、めちゃくちゃ矛盾している。
と思ったといっていました。
私もその意見には共感します。
子供の意志の力を育てるのは、幼児期です。
我慢を矯正させたり、詰め込みしてる場合ではないです。
多くの感動を詰め込む時期だと自分は思います。
だから、子供にとっての自然、が何なのかを、プロファイリングがお手伝いできたとき、親御さんが、「ああ、そうなのか」と動機を理解できたときは、子供の人生の次元がその瞬間変わったのと同じだと思います。
おとなが子供にできること、は、
生まれてよかった!を何度も何度も味わえる人生を送ってもらえるように、子供が本当にほしがっている手助けをすることです。