僕の初恋は幼稚園の頃でした。好きになったのは同性の、女の子でした。僕は男性に対して恋愛感情や性的欲求を抱いたことは、未だかつて一度もありません。
小学一年生のとき、ピアノの先生の谷間をどうにか覗きたいという願望もありましたし、小学生の頃もクラスメイトに好きな女の子がおりました。
仲良くなりたい気持ちはあれど、女の子の遊びにどうしても興味が持てず、価値観も合わず、その結果男友達とばかり遊んでいました。
この頃、とにかく男友達にもてまくり、人生で初めてのモテ期を経験するのですが、そのせいで好きな女の子にいじめられるという衝撃的な経験を致しました。
いやいや、僕が好きなのはあなたなんだけど、と思いながらも、まあ自分の見る目がないんだろうと思いました。
中学から私立に進学しました。理由はただ、プールが存在しなかったこと。そして女子であっても制服がスカートではなく、ズボンだったこと。この二点です。
僕はどうしても女子の水着を着たくなかったし、ハーフパンツであってもスカートではないということがとても嬉しかった。
中学生になると男女間で親しくするのは恥ずかしいこと、というような雰囲気になり、おかげで完全に孤立しました。なにせ女の子とは話が合わないし、女の子の作るグループのようなものにも苦手意識があり、結果的に読書と音楽にのめり込む完全なる陰キャとなりました。
読書や音楽に没頭していれば、自分の肉体や現実を忘れることができたので、それはそれはのめり込みました。年間の最大読書量は400冊を超えるほどでした。
好きな女の子はクラスにおりましたが、その子の買い物に付き合った際、「持ってあげるよ」と荷物を受け取ろうとしたところ、「そんな細い腕に持たせられないよ」と笑われ、多少のショックを受けた記憶があります。ただしまだ、どうして自分がショックを受けているのかはわかりませんでした。
ちなみにその女の子にも何が原因なのかわからないのですが、陰口を叩かれるという経験をしました。
本当に見る目がないのでしょうね。
中学生になると周りの男の子たちが声変わりしていく中、自分の声が高いままであることに違和感を覚えたことをよく覚えております。
かなりのソプラノだったため、声が可愛い、綺麗、と褒められることが苦痛で、どうにか声を低くしたくてBBQ用の鉄串で喉を突き刺そうとしたのですが、あまりに怖くてできなくて、けれど声の高さにもう耐えられないと苦しんだ結果、泣き崩れた夜もございました。
高校生になると男女間で親しくするのは恥ずかしいこと、という空気もなくなり、僕はまた男友達とつるみはじめ、ビリヤードだの麻雀だのをやったり、AVの貸し借りをしたりなんかもするようになり、楽しい高校時代を送りました。
男友達に告白されたことをきっかけに、自身の恋愛対象が女性であるということを公言するようになりました。もちろん引かれることもありましたが、なんだかんだと受け入れてくれる人のほうが多かったように思います。
当時もクラスメイトに好きな女の子がいたのですが、そしてこの子とはかなり親しくなったのですが、告白する勇気はなく、ただ見守ってあげたい、支えてあげたい、と思いながら過ごす日々を送りました。
大学生になって初めてビアンバーに繰り出したり、ビアン用の出会い系サイトを使うようになり、初めてお付き合いを経験するのですが、そのとき自分が彼女の前で洋服を脱ぐことができないことに気づきました。女性としての体を見られることに強い抵抗があったのです。
ビアンのバリタチなのだろうか、と思いつつ過ごしていたあるとき、性同一性障害を知りました。自分はこれなのだと、ようやく気がついた瞬間でした。
そこから彼女とも話しあい、自分自身でも何度も後悔しないか考え、だけどどれほど考えても自分は男だとしか思えず、結果治療を受けることを決め、その費用を稼ぐために大手のキャバクラでアルバイトを始めました。
着たくもないドレスを着て、見せたくもない体のラインを強調することは非常に苦痛ではあったものの、短時間で稼ぐとなるとひどく効率のいいことだったので、割り切って女を売ってやろうと思いました。
まあもちろん同僚の女の子たちが可愛くて、ある意味で幸せな環境ではあったのですが。
大学生だったのであまり出勤できなかったのですが、それでも在籍数80名を超えるクラブでNo1を取れた時はある種の満足感はありました。
そのようにして費用を稼いでいたのですが、店長と議論するたびに嫌われたものです。なんだかんだと嫌われながらいざというときには頼られるという状況に、しょうがねえなという気持ちになりつつも、やはり反りが合わず、
「気に入らないのならクビにしてくださっても構いませんよ。行くところはありますから。どうぞお気遣いなく」
と若気の至りから嫌味を言ったこともありました。
社長には気に入って頂いており、「お前の言っていることは正論だ。でも店長からしたら、若い女の子に言い負かされることに腹が立つのもわかる。だから上手く立ち回れ」とアドバイスされるも、一部のキャストからいじめられるようにもなったので面倒になり、キャバクラを辞めることに致しました。
そこから治療を開始し、ミックスバーでオナベとして働くことに致しました。もちろんキャバクラよりもお給金は下がるのですが、女の子らしさを作る必要のないことで精神的負担は一気に減りました。
しかしもうちょっと稼ぎたいなという気持ちと好奇心から、SMショーパブとの掛け持ちを始めました。基本的に女性キャストしかいないお店で、女王様とM女しか在籍していなかったのですが、熱烈に面接でアピールしたところ、オナベSとして採用して頂きました。
これが案外性に合い、接客だけでなくショーもやらせて頂いたり、勉強になることは沢山ございました。
肉体的に女性と繋がることのできないからこそ、SMという特殊な形を求めた部分もあったのだろうと思います。
ショーをやるとお客様からかなりのチップを頂けましたし、接客中にさまざまなご相談に乗らせて頂いたり、お金は払うのでぜひ個人的にとお願いされたこともあるので、もちろんそれはお断りしましたが、ご満足頂けていたのだろうと思います。
そのように過ごす大学時代を経て、卒業後はいっさいの夜の仕事をやめて就職するのですが、お付き合いしていたビアンの女の子と別れ、ノンケ女性と交際を始めました。
生まれて初めて同棲を経験し、数年間お付き合いさせて頂きました。それ以降はノンケの女性としかお付き合いしたことはありません。
そのように生きて参りました。
僕は思うのですが性同一性障害の治療と、美容整形は非常に似ています。果てがないと言いますか、結局本人が納得できるかどうかで終着地は変わります。
プチ整形から始めて、でも次から次へと頬を削ったり鼻を高くしたり、とエスカレートして美容整形にハマる方も、パス度の高さを求めてあれもこれもと体にメスを入れてそれでも納得のいかない性同一性障害の方も、存じております。
僕自身は現状、終着地をはっきりとさせております。自分が男だと思うのなら、他者がどう思おうが男なのだと思っています。
FTMであると親しい男友達に打ち明けたとき、「その辺の男よりもかっこいい」と言ってもらえたとき、なかなかに嬉しかったものです。
とはいえもちろんFTMであるとカミングアウトすることは非常に難しく、それを言ってしまったらもう男として見てもらえないのではないかと思うと、特に好きな女性に対しては臆病になる部分もあります。
しかしそれはいずれ自分の中で解決していくのではないかな、と楽観的に考えております。
僕はそういう人間です。
そんな人間と話してみたいという方がいらっしゃれば、いつでもお気軽にどうぞ。
ちなみに基本的に僕は女性であっても男性であっても、人様のお話を聞かせて頂くことはとても好きです。
あなたをお待ちしております。