人生の歩みを振り返って人に話すとき、私たちはつい、整った綺麗なお話を作ってしまうことがあります。
誰かに自分のこれまでを伝える場面で、つまずいたことや格好悪い部分をうまく隠して、美しいストーリーを語ってしまった経験はありませんか。
その場では相手に納得してもらえたり、感心されたりして、うまくやり過ごせたような気持ちになるかもしれません。
でも、一人になった瞬間に、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、重たい自己嫌悪が押し寄せてくることがありますよね。
「どうしてあんな嘘をついてしまったんだろう」「本当の自分はこんなに未熟で、グラグラしているのに」と、自分を責めてしまうお気持ち、とてもよく分かります。
僕は、これまで多くの方の恋愛や人間関係の悩み、仕事や人生の悩み、そして将来への不安を聞いてきました。
そんなカウンセリングの現場でも、自分の過去をうまく説明しようとするあまり、本当の自分とのギャップに苦しんでいる方とたくさん出会ってきました。
人間は誰しも、他人から「良い人」や「立派な人」に見られたいという欲求を持っているものです。
だからこそ、自分の人生を一言で総括しようとするとき、無意識のうちに角を削り、傷を隠し、綺麗にラッピングした言葉を選んでしまうのは、とても自然な防衛反応でもあります。
人に嫌われたくない、軽蔑されたくないという優しい気持ちがあるからこそ、私たちは自分を守るための服を着込んでしまうのです。
しかし、その包装紙が綺麗であればあるほど、中に包まれている素顔の自分とのズレが目立ってしまい、自分自身を裏切ったような悲しさに包まれてしまいます。
「嘘のストーリー」を語ってしまったときに感じる自己嫌悪は、実はあなたが「本当の自分」をとても大切にしたいと思っている証拠でもあります。
自分のズルさや弱さに気づけているからこそ、胸が痛むのです。
もし本当に心が麻痺していたら、自分を偽ったことに対して罪悪感すら抱かないはずですから。
だからまずは、自分の過去を綺麗に飾ってしまった自分を、どうか厳しく責めすぎないでいてあげてください。
「あのときの私は、一生懸命自分を守ろうとしていたんだな」と、優しく受け止めてあげることが大切です。
人生は、一本の綺麗につながった美しい物語である必要はありません。
遠回りをした日もあれば、途中で立ち止まって泣きじゃくった日もあり、誰にも言えないような不器用な失敗がたくさん散らばっているのが、本来の私たちの姿です。
それらをすべて綺麗に整えて人に提示しなくても、あなたの歩んできた道のりの価値が減ることは絶対にありません。
他人に誇れるような完璧なストーリーよりも、泥くさく悩んできた生身のあなたの歩みのほうが、ずっと温かく、価値のあるものです。
次に誰かから自分のことを聞かれたときは、無理にすべての物語を完成させて話そうとしなくても大丈夫です。
「うまく言えないけれど、たくさん迷いながら歩んできました」と、不完全なままの自分をひとこと伝えるだけでも、心はうんと軽くなります。
偽りの自分を演じる必要のない場所で、少しずつ心の重荷を下ろしていきましょう。
あなたがあなた自身の泥くさい歩みを優しく肯定できるようになることを、僕は心から応援しています。