SNSを開くと、タイムラインには光が差し込む清潔な部屋、美しい朝食、丁寧に淹れられたコーヒー、そしてハッシュタグ「#丁寧な暮らし」や「#充実した休日」。
そんな輝かしい画面を見つめていると、ふと手元にある飲みかけのペットボトルや、畳んでいない洗濯物の山が目に入って、なんだか自分の日常がすごく汚くて、惨めなものに思えてしまうことってありませんか。
「みんなはあんなに素敵に毎日を送っているのに、どうして自分はこんなに要領が悪いんだろう」
「自分の生活って、なんて雑で汚れているんだろう」
そんな風に、誰かの「切り取られた一瞬」と自分の「ありのままの現実」を比べて、勝手に落ち込んでしまうこと、ありますよね。
でもね、まず最初にお伝えさせてください。
あなたの日常は、絶対に汚れてなんていません。
僕は、日頃からたくさんの悩みや不安、吐き出せない想いに寄り添ってきました。
仕事で疲れ果てて帰宅し、メイクも落とさずにベッドに倒れ込んでしまう夜。
休日に何もできず、気づけば夕方になっていて猛烈な罪悪感に襲われる時間。
自炊をする気力も起きなくて、コンビニのお弁当で済ませてしまう夕食。
世間一般で言われる「丁寧な暮らし」からは程遠く見えるかもしれないけれど、僕はそれこそが、あなたが今日という一日を必死に生き抜いた「生々しくて愛おしい証拠」だと思うのです。
SNSに流れてくる輝かしい投稿は、その人の人生のほんの数パーセント、いちばん見映えの良い部分だけを切り取った「作品」のようなものです。
誰だって、散らかった部屋の画像や、焦げ付いた鍋の写真はわざわざSNSにアップしませんよね。
みんな、自分の見せたい部分だけを光の当たる場所に置いて、見せたくない泥くささは画面の裏側に隠しているだけなんです。
それなのに、他人の「最高の一瞬」と自分の「泥くさい日常」を比べてしまったら、自分の生活が劣っているように感じてしまうのは当たり前です。
だからね、SNSを見て「自分の日常が汚れている」と感じてしまった時は、そっとスマホを伏せてみてください。
そして、自分の手に目を向けてみてください。
その手は今日、誰かのために仕事をしたり、自分の体を支えたり、何かを耐え忍んだりして、ちゃんと頑張ってきた手です。
整っていない部屋も、適当に済ませたご飯も、あなたが今日を生き延びるために選んだ「優しさ」であり「知恵」なんです。
疲れている時に無理をして丁寧な暮らしをしようとしたら、心がポキッと折れてしまいますよね。
だから、ズボラでいいんです。適当でいいんです。
部屋がちょっと散らかっていたって、パジャマのまま一日過ごしたって、それはあなたが自分を休ませている大切な時間なのですから。
完璧でキラキラした日常だけが、素晴らしい人生ではありません。
泥くさくて、ちょっと雑で、人間臭さにあふれたあなたの毎日には、SNSの画面越しでは絶対に伝わらない深みと愛おしさがあります。
自分の泥くさい日常を、どうか嫌わないであげてください。
「今日もなんとか生き抜いたな」って、自分のおでこを撫でてあげるくらいでちょうどいいんです。
あなたはあなたのままで、そのままで十分に素晴らしい毎日を送っていますよ。