お仏飯の盛り方から

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 兵庫県の播州地方では、田植えが始まりました。今では機械で行っていますが、その昔、手で田植えをしていた頃には、田植えで余った苗を田んぼの片隅に、かためて植えておいたようです。
 この苗がある程度の大きさになった時に刈り取って、それを束にして、輪灯(りんとう)のような真鍮(しんちゅう)の仏具のお磨(みが)きに、タワシとかスポンジのかわりに使っていたそうです。大きくなった苗は柔らかく、仏具が傷まなくて良かったそうです。そのかわり、今のようにピカピカというわけにはいかなかったようです。
 この話を聞いた時に、仏さまのご飯・お仏飯(ぶっぱん)の昔の盛り方も教えてもらいました。
 当時は麦飯だったので、普通にすくっても、ご飯がバラバラして盛れなかったそうです。それで、ご飯が炊けた時、お釜の真ん中に少しだけ真っ白なお米だけの部分があって、その部分をそーっと杓文字(しゃもじ)ですくって、仏さまのご飯にしていたそうです。ですからお仏飯は冷えても、それだけで大変なご馳走だったそうです。
 このような営みで、それぞれのお家のお仏壇と仏さまを大切に護(まも)ってこられたのです。
 かの地方では、姫路仏壇とか播州仏壇と呼ばれる独特のお仏壇があります。彫刻が多く施された豪華なものです。その彫刻にもいろいろな図柄があるのですが、その一つに西遊記の図柄があります。
 なぜ西遊記の図柄がお仏壇に施してあるのか疑問でしたが、これはいかにお経、ひいては仏教の教えが、私のもとに至り届くのに、どれほどの先人たちの苦労があったかということを示したものであるということが、お磨きの仕方や、お仏飯の盛り方を聞いてわかったように思います。
後書きとは違う
 お経の内容を学び始めた時、経典は前書きにあたる部分を「序分(じょぶん)」といい、本文にあたる部分を「正宗(しょうしゅう)分」、そして後書きにあたる部分を「流通(るずう)分」ということ教えてもらいました。本当に仏教を習い始めた時でしたので、仏教だからそれぞれの名称が違うのだなぁというくらいの認識でした。序分は序章のようなものだろうし、正宗分も正しい宗(むね)が書いてあるから本文だろうというくらいの理解です。後書きをどうして流通分というのかなぁ・・・という疑問はその時には、残念ながらおこりませんでした。仏教では「りゅうつう(流通)」と書いて「るずう」と読むのかということだけに注意がいっていたように思います。
 しかし、あらためて考えますと、「後書き」と「流通」では、その思いが全く違うということに気付きます。後書きは、文章が終わり、さらに最後のまとめを行うことが目的です。それに対して流通分は、それでお経が終わったということにはなりません。このお経を語るのは終わったけれども、この経典の中に説かれている教えは広く流布(るふ)し、今後私たちに流れ込み、私たちの思いに通わないといけない。そして、後に伝えていかないといけない。私たちが受け取っているみ教えを後に伝える、ということを担っているように思います。
 こういうと何やら難しいのですが、「○○ちゃん、マンマンちゃんにナムナムしようね」と、仏さまの前で手を合わしてその声や姿を後に伝える、仏さまを敬う生活を知らせていくことが大切な時代ではないでしょうか。
 今の人は幼い頃に労働期がないといいます。労働期というと何か大仰(おおぎょう)な感じがしますが、要はお手伝いをする機会がないということです。
 「手伝い」とは「時間を自分以外の他者のために使いなさい」ということです。勉強、勉強と自分のためだけにしか時間を使ったことのない人間に対して、他者を敬えとか認めろということは、もともと無理なことかもしれません。自分に対して有意義な存在であるかないか、荒っぽく言うと「損か得か」という点でしか他者を見ることができないとしたら、とても悲しいことです。
 仏さまとは、無量のいのちの輝きです。このいのちの輝きにお礼している姿を後に伝えていくことこそが、今この時を生きる私たちの務めです。

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