あまりに冷たすぎる

あまりに冷たすぎる

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 〝医師兼僧侶〟─不思議な肩書と思われた方は、少なくないと思います。実は、医師と僧侶には共通する点があります。それは、悩んでいる人・苦しんでいる人に、何がしてあげられるか、お手伝いできるか考え、そして実際にその悩み苦しみにかかわっていくということです。そして、その中で"いのち"を見つめ、"いのち"を大事にしていくということです。
 私は医師として、"がん"の患者さんと多くかかわり、治療し、看取りもしてきました。現在、日本で年間約34万人の方が"がん"で亡くなり、日本における死因の第1位です。現代人の少なくとも3人に1人は"がん"で亡くなり、"がんで死ぬ"ということが、非常に身近なものになっているわけです。
 私見ですが、死ぬ準備は大事だし、必要だと本当に思っています。ある意味、仏教も生死(しょうじ)を見つめる中で、そのようなことを説いてきたのかもしれません。しかし、本当に死を見つめるということは、つらいというより残酷なことだと思うのです。この世における、愛別離苦の極みとも言えると思います。「自分は治る!」と信じながら"がん"と戦い、そして敗れ、そして愛(いと)おしきこの世、愛する家族と死をもって別れなければならない。それを、「生死は自分の問題だから責任もって自分で考えなさい」というのは、あまりにも冷たすぎる仕打ちじゃないかと思うのです。
まず人間同士として
 浄土真宗の他力の信心は「二種深信(じんしん)」といわれています。「機(き)の深信」と「法(ほう)の深信」です。
 二種深信とは、落ちるしかない救われようもない私(機の深信)が、必ず取って捨てぬ仏、必ずお救いくださる阿弥陀仏(法の深信)に出あわせていただくことといただいております。妙好人(みょうこうにん)といわれるお園(その)さんの「落ちればこそ、救ってもらいますわいのー」といういただき方でしょうか。
 「死ぬ準備をしなさい」とはある意味、落ちるしかない救われようもない自分に気づきなさいということです。そこに救いがなければ、どうなるでしょう。
 そのようなときに、宗教家が「この世は、どうにもならない。どうにもならないことをご存じで、そのままで救うとおっしゃるのが阿弥陀さまだ」と説教をして、はたしてありがたい法話といただけるでしょうか。
 その前に、家族として、友人として、同朋として寄り添い、一緒に涙する。そういった、生きた人間同士として、精いっぱい出来ることをやる。やるだけやったがどうにもならん。そこに立ってこそ、本当の意味で阿弥陀さまの救いを語れるような気がします。
 お慈悲の水は、高いところにはたまらぬ。信心の蓮華は泥の中にこそ開く─。
心のメタボリック
 小川一乗先生(大谷大学元学長)の妹さんで、乳がんで亡くなられた鈴木章子(あやこ)さんは自著『癌告知のあとで』の中で、
  転々移を告げられて
  ふと
  末期の痛みに恐怖がはしった
  その時
  如来様
  誰もが死んでゆけた
  お前も必ず死んでゆけると
  励まして下さった
  だれもが死んでゆける
  例外者なしが
  安心・・・・・・〈例外者なし〉
と自分の死をいただかれています。
 鈴木章子さんは、別な詩の中で、がんになって自分の自惚(うぬぼ)れが砕かれたことを語っておられます。私の出会ったがん患者さんからも同様なことをうかがいました。目が見えなくなって、本当の世界が見えてきたというお話をうかがったこともあります。
 現代は"心のメタボリック"の時代だと思っています。あまりにも情報やものが溢(あふ)れています。だから、本当に大切なものが見えにくい時代、混迷の時代とも言えるでしょう。そして、"がん"になって、落ちるしかない救われようもない自分に気づいたその時に、ようやく"本当に大切なもの"が見えてきたのでしょうか。
 あなたにとって、本当に大切なものは何ですか?

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