夏休み真っ只中の我が家。
受験生である中学生の次女が、ボソッと夏休みの課題の『作文』について悩みをこぼしていました。
「ちょっとAIに相談したら、全部書いてくれたんだよね」
今の時代、スマホ一つでAIが完璧な文章を一瞬で生成してくれます。
でも、彼女の表情はちっとも「ラッキー!」とはなっていませんでした。
どこかモヤモヤとした違和感を抱えていたのです。
彼女が言うには、ネットで「自分で必死に書いた論文なのに、教授から『AIが書いたものだろ』と疑われてすごく悲しかった学生の話」を見たのだそう。
「今回の作文、ちょっと文末だけ変えて自分の要素を入れようと思ったんだけど……」と呟く次女に、私も日頃のココナラやブログの仕込みで感じていることを、母として伝えてみました。
「お母さんもね、概要を入れるだけでAIが綺麗なブログを作ってくれるの。でもね、別のAIに『これどう?』って見せたら、『田中さんの失敗談やリアルな言葉(人間味)が全カットされていて、これじゃ誰の心にも刺さらないですよ』ってズバッと言われちゃったんだよね
私たちが普段、ネットで何気なく読んだり観たりしているもの自体が、すでにAIで作られた言葉なのかもしれない。
そういう言葉をたくさん食べて育っていくと、いつの間にか『人間が書いたもの』と『AIが書いたもの』の境界線が本当に分からなくなっちゃうね」
そんな話をすると、次女は「一旦自分で直してみるから、できたら読んでみて」と言い、続きの作業をしていました。
しばらくして、彼女が直した原稿を持ってきました。
目を通すと・・・
「ちょっと待って、中学生が普段こんな言い回ししないでしょ?(笑)」
「この言葉の意味、本当に分かって使ってる?」
なんて突っ込みを入れながら、二人で必死に「中学生らしい温度」を取り戻すための添削作業をしました。
その時、私はフッと不思議な感覚に囚われたのです。
少し前までは、「人間が書いた不完全な文章を、AIに綺麗に添削してもらう」のが当たり前でした。
でも今、目の前で起きているのは、「AIが書いたお利口で冷たい文章を、人間(母)が中学生らしい生きた言葉に直すために必死に添削している」という、完全な逆転現象です。
これ、大人のビジネスの現場でも全く同じことが起きているのではないでしょうか。
メールの返信、企画書、報告書。AIを使えば、誰でも一瞬で「一見すると完璧で、誰からも文句を言われない綺麗事の文章」が作れます。
でも、そんな冷たい正論やマニュアル通りの言葉ばかりがタイムラインに並ぶと、画面の向こうのメンバーや部下は「なんだか心を閉ざされたような寂しさ」を感じて、思考停止してしまいます。
本当に大切なのは、綺麗で論理的な言葉(白黒)ではなく、その裏側にある「その人自身のドタバタした人間味や、不器用な想い(グレーの余白)」です。
AIに自分の言葉の主導権を奪われるのではなく、不器用でもいいから「私はこう思っています」と、自分の生きた言葉で相手に声をかけていく。
そんな血の通ったコミュニケーションの余白を、これからも現場の真ん中にのんびり、大切に置いていきたいなと改めて気づかされた休日でした😌
【マニュアルやAIの正論ばかりで、なんだか職場の空気が冷たく凍りついているな……】と思ったら
画面オフのリモート環境だからこそ、綺麗にまとまった言葉の奥にあるメンバーの寂しさや不安を察知し、お互いが「自分の生きた言葉」で本音を話し合える関係性を整える。
「まずは、ウチの職場の今の状況を聞いてほしい」という方も、チャット相談窓口からいつでもお気軽に声をかけてくださいね。