過干渉な毒親にされたこと

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コラム
「この家がそんなに嫌だったら出ていきなさいよ!!!!」


―――私の子ども時代、毒母がヒステリックに叫んでいたセリフの一つです。

子どもは出ていけない、ということをよーくわかった上で言っているところが本当にタチが悪いと思います。

『出ていけないのであれば、私の言うことに黙って従え』

こんな無言のプレッシャーをかけて自分に従わせる。
正気な人間がすることではありませんね(-_-;)


ちなみに私は大人になって本当に出ていきましたが、それはもう必死の形相で追いかけて連れ戻しに来ました。

それでとにかく大騒ぎ泣きわめき、職場や友人たちに片っ端から電話。
警察には「誘拐されたかもしれません!!!!」と大げさに通報。
すべて「子どもがいなくなった、かわいそうな親(ワタシ)」を演じながら行っていたようです。

本当に、たくさんの人に迷惑をかけまくる幼稚な母の存在を、とにかく恥ずかしく、また申し訳なく思っていました。


「異常な母」という存在が理解されないという日本的な感覚もまた、当時の私を苦しめました。

今ほど毒親という言葉が浸透していない10年以上前、まだまだ「親はみな自分の子どもを愛しているものだ」という意識が強い時代。母の異常さをわかってもらえないことも多く、だれかに相談すらできない状態でした。

「毒親についてわかってもらえないつらさ、孤独に悩む方の支えになりたい」という気持ちはこういった経験からずっと持ち続けてきました。









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