毎日10時間「やりたいこと探し」をしているのに、何も見つからない
カウンセリングルームに入ってきた彼は、どこか疲れた表情をしていた。
「すみません、遅れました。実は今日も午前中、ずっと自己分析のワークシートやってて......」
そう言いながら、大きなリュックから分厚いノートとマーカーペンを何本も取り出す様子を見て、私は少し驚いた。
ダイキ「いえいえ、大丈夫ですよ。たくさん持ってこられましたね」
クライエント「はい......これ、自己分析ノートなんです。もう3冊目で」
ノートには、びっしりと書き込みがあった。「強み」「弱み」「価値観」「やりたいこと」「できること」といった項目が、カラフルな付箋とマーカーで埋め尽くされている。
ダイキ「すごいですね。毎日、こうして書いているんですか?」
クライエント「ええ......もう3ヶ月です。朝起きてから、だいたい10時間くらいは、やりたいこと探しに使ってます」
彼の声には、疲労と焦りが混ざっていた。
ダイキ「10時間......」
クライエント「はい。自己分析の本を読んで、適性診断を受けて、キャリアコーチングも月2回受けて......でも、全然、答えが出ないんです」
そう言って、彼は深くため息をついた。
「次こそは天職を」という思いが、かえって動きを止めている
ダイキ「今まで、どんなお仕事をされてきたんですか?」
クライエント「最初はメーカーで営業を5年。そのあと、IT企業でプロジェクト管理を3年やってました」
ダイキ「8年、働いてこられたんですね」
クライエント「でも......どっちも、なんか違うなって思ってたんです。営業は数字に追われて苦しかったし、プロジェクト管理は調整ばっかりで......」
言葉を選びながら、彼はゆっくりと話し続けた。
クライエント「前の会社を辞めるとき、『次こそは、本当にやりたいことを見つけてから転職しよう』って決めたんです。もう失敗したくないから」
ダイキ「失敗したくない......」
クライエント「はい。だから、ちゃんと自己分析して、天職を見つけてから動こうって。でも......3ヶ月経っても、全然わからないんです」
彼の声が、少し震えた。
クライエント「毎日毎日、『本当にやりたいことは何だろう』『自分に合う仕事は何だろう』って考えてるんですけど......答えが出なくて。それで、また自己分析の本を買って、また診断を受けて......」
ダイキ「それを繰り返してるんですね」
クライエント「はい......でも、貯金もどんどん減っていくし、周りの友達はみんな働いてるし、焦るんです。『早く見つけなきゃ』って。でも、『また失敗したらどうしよう』って怖くて......」
彼は顔を伏せた。
「やりたいこと」を探すほど、遠ざかっていく理由
しばらく沈黙が続いた。彼は自分のノートをじっと見つめている。
ダイキ「ひとつ、聞いてもいいですか?」
クライエント「......はい」
ダイキ「その10時間、苦しくないですか?」
クライエント「え?」
ダイキ「毎日10時間、『やりたいこと』を探す時間。楽しいですか? それとも、苦しいですか?」
彼は少し考えてから、小さな声で答えた。
クライエント「......苦しいです」
ダイキ「どんなふうに?」
クライエント「なんか......ずっと、自分を責めてる感じです。『なんで見つからないんだろう』『自分はダメなやつだ』って」
ダイキ「そうですか......」
私はゆっくりと言葉を続けた。
ダイキ「もしかしたら、『やりたいこと』を探せば探すほど、遠ざかっていくのかもしれませんね」
クライエント「え......どういうことですか?」
ダイキ「人間の脳って、疲れたり、プレッシャーを感じたりすると、創造的なことが考えられなくなるんです。『絶対に見つけなきゃ』『失敗したくない』っていう焦りがあると、脳が緊張して、かえって見えなくなってしまう」
彼は、驚いた表情でこちらを見た。
クライエント「でも......見つけないと、動けないじゃないですか」
ダイキ「本当にそうでしょうか?」
「できること」から始めた人たちの話
ダイキ「ちょっと、質問を変えてみてもいいですか?」
クライエント「......はい」
ダイキ「『やりたいこと』じゃなくて、『今できること』って、何がありますか?」
クライエント「できること......ですか?」
ダイキ「はい。たとえば、これまでやってきた仕事の中で、『まあまあできたかな』っていうこと」
彼は少し考えてから、ぽつりぽつりと話し始めた。
クライエント「うーん......営業のとき、お客さんの話を聞くのは、まあまあできてたかな。あと、プロジェクト管理のときは、スケジュール作るのとか、資料をまとめるのは......できてた、かな」
ダイキ「話を聞く、スケジュールを作る、資料をまとめる......できることが、いろいろあるんですね」
クライエント「でも、それって......別にやりたいことじゃないんです。だから意味ないんじゃ......」
ダイキ「本当に意味がないでしょうか?」
私は、少し間を置いてから続けた。
ダイキ「実はですね、起業家の研究で『エフェクチュエーション』っていう考え方があるんです」
クライエント「エフェクチュエーション......?」
ダイキ「はい。成功した起業家たちを研究したら、面白いことがわかったんです。彼らは『やりたいこと』を最初に決めてから動いたわけじゃなかった」
クライエント「え、そうなんですか?」
ダイキ「ええ。むしろ、『今、自分ができること』『今、持っている手段』から始めて、やりながら、だんだん形にしていったんです」
彼は、初めて聞く話に、少し前のめりになった。
ダイキ「たとえば、『私は誰か』『私は何を知っているか』『私は誰を知っているか』。この3つから始めるんです」
クライエント「今ある手段......から?」
ダイキ「そうです。遠くの『やりたいこと』を探すんじゃなくて、足元にある『できること』を使って、まず一歩踏み出す。そうすると、歩きながら、いろんなことが見えてくる」
「未来を予測できないなら、コントロールすればいい」
クライエント「でも......ちゃんと計画を立てないと、失敗するんじゃないですか?」
ダイキ「失敗が怖いんですね」
クライエント「はい......だから、ちゃんと『これが正解だ』って確信してから動きたいんです」
ダイキ「なるほど......でも、ひとつ聞いてもいいですか?」
クライエント「......はい」
ダイキ「その『正解』って、本当にわかるものなんでしょうか?」
彼は、言葉に詰まった。
ダイキ「未来のことって、どんなに計画を立てても、わからないですよね。会社の雰囲気とか、上司がどんな人かとか、実際に入ってみないとわからない」
クライエント「......そうですね」
ダイキ「エフェクチュエーションの考え方だと、『未来は予測するものじゃなくて、コントロールするものだ』っていうんです」
クライエント「コントロール......?」
ダイキ「はい。つまり、『こうなるはずだ』って予測するんじゃなくて、『自分ができることで、未来を作っていく』っていう考え方です」
彼は、ノートを見つめながら、ゆっくりと頷いた。
小さく始めて、大きく育てる
ダイキ「もうひとつ、面白い研究があるんですよ」
クライエント「......何ですか?」
ダイキ「毎日、少しずつ続けることの力です。たとえば、小説家のアントニー・トロロープっていう人は、『1日15分で250語書く』って決めて、毎日続けたんです」
クライエント「15分......」
ダイキ「はい。彼は郵便局で働きながら、毎日少しずつ書いて、最終的には歴史に残る作家になった。彼はこう言ってるんです。『小さな仕事を毎日続ければ、気まぐれなヘラクレスが成し遂げる以上のことができる』って」
彼の目が、少し明るくなった気がした。
ダイキ「南極探検のアムンゼン隊もそうです。彼らは、どんな天候でも、毎日決まった距離だけ進むって決めてた。一方、スコット隊は、『調子がいいときにたくさん進んで、悪いときは休む』っていう戦略だった」
クライエント「......結果は?」
ダイキ「アムンゼン隊は全員無事に帰還して、南極点にも早く到達しました。スコット隊は......全滅してしまった」
クライエント「......」
ダイキ「つまり、『完璧な計画』を立てて、勢いよくスタートするより、『小さくてもいいから毎日続ける』ほうが、長い目で見たら成果が出るんです」
「できること」を使って、一歩踏み出してみる
しばらく沈黙が続いた。彼はノートに書かれた「やりたいこと」のリストをじっと見つめている。
クライエント「......でも、どこから始めたらいいんでしょう」
ダイキ「じゃあ、こう考えてみましょうか。『今週、自分ができる一番小さな一歩は何ですか?』」
クライエント「一番小さな......」
彼は少し考えてから、口を開いた。
クライエント「話を聞くのが、まあまあできるって言いましたよね」
ダイキ「はい」
クライエント「だったら......とりあえず、いろんな人の話を聞きに行ってみる、とか?」
ダイキ「いいですね。どんな人の話を聞いてみたいですか?」
クライエント「うーん......実は、フリーランスで働いてる人の話とか、聞いてみたいなって思ってたんです。でも、『フリーランスになる』って決めたわけじゃないから、聞きに行っちゃダメかなって......」
ダイキ「どうして、ダメだと思うんですか?」
クライエント「だって......まだ、『フリーランスになりたい』って確信してないから......」
ダイキ「確信してないといけないんでしょうか?」
彼は、少し驚いた表情をした。
ダイキ「『やりたいこと』が決まってから動くんじゃなくて、動きながら『やりたいこと』が見えてくるかもしれませんよ」
「やりたい」じゃなく「やる」と決める
クライエント「......でも、もし話を聞いて、『やっぱり違う』ってなったら、時間の無駄じゃないですか」
ダイキ「無駄になると思いますか?」
クライエント「......」
少し間があった。
ダイキ「今、毎日10時間、ノートに向かって『やりたいこと』を探してるんですよね」
クライエント「......はい」
ダイキ「それで、3ヶ月経っても答えが出なかった。だとしたら、今のやり方を変えてみるのも、ひとつの選択肢じゃないでしょうか」
彼は、ゆっくりと頷いた。
ダイキ「それに、『やりたいこと』を探すより、『やる』って決めることのほうが、実は大事なんです」
クライエント「え?」
ダイキ「心理学の研究で、こんなことがわかってるんです。『やりたいから、やる』じゃなくて、『やると決めたから、やる』っていうふうに行動すると、脳が『これは自分が選んだことだ』って認識するんです」
クライエント「......」
ダイキ「逆に、『やりたくないけど、やるべきだからやる』っていう気持ちでやると、『罪のライセンス』っていうのが発動するんです」
クライエント「罪のライセンス......?」
ダイキ「はい。『頑張ったから、ちょっとご褒美』って、目標から遠ざかる行動をしちゃう。たとえば、勉強を頑張ったから、夜更かししてゲームしちゃう、みたいな」
彼は、少し苦笑いをした。
クライエント「......わかります。自己分析を頑張ったあと、ついつい動画を見ちゃうんです」
ダイキ「そうですよね。だから、『やりたいこと』を探すより、『これをやる』って決めて、『自分はこれをやりたいんだ』って思いながらやるほうが、続くし、成果も出るんです」
「許容できる損失」を決めて、動き出す
ダイキ「エフェクチュエーションには、もうひとつ大事な原則があります」
クライエント「......何ですか?」
ダイキ「『許容できる損失』を決めるんです」
クライエント「損失......」
ダイキ「はい。つまり、『どこまでなら失敗してもいいか』を先に決めておく。そうすると、安心して行動できるんです」
彼は、少し考えてから言った。
クライエント「......たとえば?」
ダイキ「たとえば、『今月は5人の人に話を聞きに行く。そのための交通費は2万円まで』とか。『3ヶ月試してみて、合わなかったらやめる』とか」
クライエント「......それなら、できるかも」
ダイキ「『全てを賭ける』んじゃなくて、『これくらいならリスクを取れる』って範囲で動く。そうすると、失敗しても大丈夫だし、やりながら軌道修正もできる」
彼は、初めて、少し安心したような表情を見せた。
動きながら、未来が見えてくる
クライエント「......ちょっと、聞いてもいいですか」
ダイキ「どうぞ」
クライエント「でも、やっぱり不安なんです。『これが正解かどうか』って」
ダイキ「正解かどうか、確かめたいんですね」
クライエント「はい......だって、また失敗したくないし」
ダイキ「そうですよね......」
私は、少し考えてから言葉を選んだ。
ダイキ「ひとつ、聞いてもいいですか。『失敗』って、どういう状態のことを言ってますか?」
クライエント「え......」
ダイキ「たとえば、今回、フリーランスの人の話を聞きに行って、『やっぱり自分には合わないな』ってわかったとします。これは失敗ですか?」
クライエント「......うーん」
彼は、しばらく考えてから、小さな声で言った。
クライエント「......失敗じゃない、かも」
ダイキ「どうしてですか?」
クライエント「だって......『合わない』ってわかったんだから、無駄じゃないですよね」
ダイキ「そうですね。むしろ、一歩進んだとも言える」
クライエント「......」
ダイキ「『やりたいこと』って、最初からわかってるものじゃなくて、動きながら見えてくるものかもしれません。だから、『正解を見つけてから動く』んじゃなくて、『動きながら、正解を作っていく』」
彼は、ゆっくりと頷いた。
今日から、できることを始める
ダイキ「じゃあ、今日のところで、何か一つ、やってみようと思えることはありますか?」
彼は、少し考えてから、ノートに何かを書き始めた。
クライエント「......フリーランスの人、3人に話を聞きに行く。今月中に」
ダイキ「いいですね」
クライエント「交通費は......1万円までにします」
ダイキ「素晴らしいです。『許容できる損失』も決めましたね」
クライエント「......でも、本当にこれでいいのかな」
彼は、まだ少し不安そうだった。
ダイキ「不安があるのは、自然なことですよ」
クライエント「......そうですか」
ダイキ「はい。でも、その不安を抱えたまま、『今できること』を一歩ずつやっていく。そうすると、だんだん見えてくるものがあると思います」
クライエント「......わかりました。とりあえず、やってみます」
彼は、初めて、少し前向きな表情を見せた。
【1ヶ月後】 動き出したら、景色が変わった
1ヶ月後、彼は再びカウンセリングルームに来た。今度は、少し軽い足取りで。
ダイキ「お久しぶりです。どうでしたか?」
クライエント「......実は、4人に会えました」
ダイキ「おお、3人って言ってたのに、4人も!」
クライエント「はい。最初は緊張したんですけど......話を聞いてるうちに、なんか、面白くなっちゃって」
彼は、少し照れくさそうに笑った。
クライエント「それで、そのうちの一人が、『今度、うちの仕事手伝ってみない?』って言ってくれたんです」
ダイキ「それは良かったですね」
クライエント「はい......まだ、『これが天職だ』とは思ってないんですけど......でも、『やりたいこと』を探してノートに向かってた3ヶ月より、この1ヶ月のほうが、なんか、生きてる感じがしました」
ダイキ「生きてる感じ......」
クライエント「はい。動いてると、いろんなことが見えてくるんですね。『あ、これは好きかも』とか、『これはちょっと違うな』とか」
ダイキ「そうですね。動きながら、わかってくることって、たくさんあります」
クライエント「......それで、もう一つ、気づいたことがあるんです」
ダイキ「何ですか?」
クライエント「『やりたいこと』を探してるときって、実は、『失敗したくない』っていう気持ちが一番強かったんだなって」
彼は、少し恥ずかしそうに言った。
クライエント「でも、『許容できる損失』を決めて動いてみたら、失敗してもいいやって思えて......そうしたら、逆に、行動しやすくなったんです」
ダイキ「それは、すごく大事な気づきですね」
「できること」から始めた未来
クライエント「......あの、質問してもいいですか」
ダイキ「どうぞ」
クライエント「『やりたいこと』って、一生見つからないのかもしれませんか?」
ダイキ「どう思いますか?」
クライエント「......今は、『見つからなくてもいいかな』って思ってます」
ダイキ「......」
クライエント「だって、『できること』をやってると、それが段々『やりたいこと』に変わっていく気がするんです」
ダイキ「なるほど......」
クライエント「最初は、『話を聞きに行く』っていうのも、『やりたいこと』じゃなかったんです。でも、やってみたら、意外と楽しくて」
ダイキ「そうですか」
クライエント「今は、『もっといろんな人の話を聞きたい』って思ってます。これって......『やりたいこと』ですよね?」
彼は、初めて、本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
ダイキ「そうですね。『やりたいこと』は、探すものじゃなくて、育てるものなのかもしれませんね」
クライエント「......はい」
おわりに
カウンセリングが終わり、彼が帰る間際、こう言った。
クライエント「あの、最初のカウンセリングで聞かれた質問、覚えてますか?」
ダイキ「どの質問ですか?」
クライエント「『その10時間、苦しくないですか?』って」
ダイキ「ああ、はい」
クライエント「今は、毎日が楽しいです。まだ、不安もあるし、『これでいいのかな』って思うこともあるけど......でも、苦しくはないです」
ダイキ「それは、良かったです」
クライエント「ありがとうございました。また来ます」
彼は、軽い足取りで、カウンセリングルームを後にした。
「やりたいこと」を探し続けて疲弊していた彼が、「できること」から始めることで、動き出すことができた。
未来は、予測するものではなく、今ある手段で作っていくもの。
小さな一歩が、やがて大きな変化を生む。