見えない壁
カウンセリングルームに入ってきたケンジさんは、少し疲れた表情をしていた。椅子に座ると、深いため息をついた。
ケンジ「また落ちました。書類で」
ダイキ「書類選考ですね」
ケンジ「はい。もう30社以上送ってるんですけど、面接まで行けたのは3社だけで。履歴書を見た瞬間に、ああ、この人はダメだって思われてる気がして」
そう言いながら、ケンジさんは自分の履歴書のコピーをテーブルに置いた。そこには、確かに数年分の空白期間があった。
ダイキ「その空白期間を見て、企業の人がどう思っていると感じますか?」
ケンジさんは少し間を置いてから答えた。
ケンジ「......使えない人間だって思われてる、んじゃないかと」
その言葉には、深い痛みが滲んでいた。
________________________________________
あの日から
ダイキ「その空白期間、何があったんでしょう?」
ケンジ「体を壊しまして。心の方ですけど」
ケンジさんは、ゆっくりと話し始めた。
ケンジ「営業の仕事で、毎日朝早くから夜遅くまで。ノルマもきつくて。上司からは毎日のように詰められて。気がついたら、朝起きられなくなってたんです。会社に行こうとすると、体が動かなくなって」
ダイキ「それは辛かったですね」
ケンジ「最初は自分が弱いからだと思ってました。でも、病院に行ったら適応障害って言われて。休職して、結局......辞めました」
ケンジさんの声が小さくなった。
ダイキ「辞めるという決断をした時、どんな気持ちでしたか?」
ケンジ「......情けなかったです。同期はみんな頑張ってるのに、自分だけ逃げ出すみたいで」
________________________________________
見えない審判
ダイキ「その後、休養期間を経て、転職活動を始めたんですね」
ケンジ「そうです。半年くらい休んで、体調も戻ってきたので。でも......」
ケンジさんは言葉を切った。
ダイキ「でも?」
ケンジ「応募しても、応募しても、返事すら来ないことが多くて。たまに面接に行けても、必ず聞かれるんです。『この期間、何をされてたんですか?』って」
ダイキ「それを聞かれた時、ケンジさんはどう答えてるんですか?」
ケンジ「正直に、体調を崩して休んでいたって言ってます。でも、その瞬間、相手の表情が変わるのが分かるんです。ああ、この人はメンタルが弱い人だって思われてる、って」
ケンジさんの拳が、わずかに震えていた。
ダイキ「相手の表情が変わるのが分かる、と」
ケンジ「はい。最初は話を聞いてくれてたのに、急に質問が機械的になったり、早く終わらせようとしてる感じになったり」
________________________________________
言葉にできない痛み
ダイキ「それは、本当に辛い経験ですね。でも、ケンジさん、一つ聞いてもいいですか?」
ケンジ「......はい」
ダイキ「相手の表情が変わったっていうのは、ケンジさんがそう感じた、ということですよね。相手が実際に何を考えていたかは、分からない」
ケンジさんは、少し戸惑った表情になった。
ケンジ「でも、明らかに態度が変わったんです」
ダイキ「そうですね。態度が変わったように見えた。それは事実かもしれません。でも......その態度の変化が、『メンタルが弱い人だからダメだ』という意味なのか、それともケンジさんがそう解釈したのか。そこは、分けて考えてみる必要があるかもしれません」
ケンジさんは黙り込んだ。しばらくの沈黙の後、小さな声で言った。
ケンジ「......自分で、そう思い込んでるってことですか?」
ダイキ「思い込んでるというより、そう感じざるを得ないほど、ケンジさん自身が傷ついているのかもしれない、と思ったんです」
________________________________________
本当の壁はどこに
その言葉を聞いた瞬間、ケンジさんの目に涙が浮かんだ。
ケンジ「......そうなのかもしれません」
ケンジさんは、ハンカチで目を拭いた。
ケンジ「正直、自分が一番、自分を責めてるんです。なんで自分は働けなくなったんだろうって。なんで他の人みたいに頑張れなかったんだろうって。空白期間がある履歴書を送る度に、ああ、これじゃダメだって、自分で自分にダメ出ししてるんです」
ダイキ「ケンジさんが一番、自分を否定してる」
ケンジ「......はい」
部屋に静かな沈黙が流れた。ダイキは、ケンジさんの言葉をゆっくりと受け止めながら、待った。
ダイキ「企業側に偏見があるのは、残念ながら事実かもしれません。でも、その偏見以上に、ケンジさん自身が自分を否定してしまっている。そのことの方が、もっと大きな壁になっているのかもしれませんね」
ケンジさんは、何度か頷いた。
ケンジ「......そうかもしれません」
________________________________________
違う見方
ダイキ「少し視点を変えて考えてみてもいいですか?」
ケンジ「はい」
ダイキ「ケンジさんは、自分を『働けなくなった人』って見てますよね。でも、別の見方もできるんじゃないでしょうか」
ケンジ「別の見方......?」
ダイキ「ケンジさんは、限界まで頑張って、体が壊れるまで働いた。そして、それ以上無理をせずに、自分の体を守るために休むという決断をした。これって、自分を大切にする力があるってことじゃないでしょうか」
ケンジさんは、驚いたような顔をした。
ケンジ「自分を......大切にする?」
ダイキ「はい。そして、休養期間を経て、また働こうと思えるまで回復した。これも、すごい力です」
ケンジ「でも、それは......普通のことじゃないんですか?」
ダイキ「普通? ケンジさん、体を壊すまで働いて、そこから回復して、また前を向こうとしてる。それ、すごく大変なことですよ」
ケンジさんは、しばらく何も言えなかった。
________________________________________
新しい物語
ダイキ「企業の人が、どう見るか。それは、正直コントロールできないことです。でも、ケンジさん自身が、自分をどう見るか。それは、ケンジさんが選べることです」
ケンジ「自分を......どう見るか」
ダイキ「はい。『使えない人間』として見るのか、『困難を乗り越えてきた人』として見るのか」
ケンジさんは、深く考え込むような表情になった。
ケンジ「でも、実際に書類が通らないのは事実で」
ダイキ「そうですね。それは現実です。でも、その理由が『ケンジさんに価値がないから』なのか、『たまたまその企業とマッチしなかったから』なのか。あるいは、『説明の仕方を工夫する余地があるから』なのか。いろんな可能性がありますよね」
ケンジ「説明の仕方......」
ダイキ「たとえば、面接で『この期間、何をされてましたか?』って聞かれた時。『体調を崩して休んでいました』だけじゃなくて、『その期間に何を学んだか』『どう回復したか』『今はどういう状態か』まで、自分の言葉で語れたら、相手の印象も変わるかもしれません」
________________________________________
小さな一歩
ケンジ「自分の言葉で......」
ケンジさんは、少し前を向くような表情になった。
ダイキ「企業側の偏見をゼロにすることは、難しいかもしれません。でも、ケンジさんが自分を信じられるようになれば、それは必ず相手にも伝わります」
ケンジ「自分を......信じる」
ダイキ「はい。ケンジさんは、本当はどんな働き方がしたいんですか?」
ケンジさんは、しばらく考えてから答えた。
ケンジ「......無理なく、長く働ける場所がいいです。営業みたいにガンガン行くんじゃなくて、コツコツと、自分のペースでできる仕事」
ダイキ「それは、ケンジさんが過去の経験から学んだことですね」
ケンジ「......そうかもしれません」
ダイキ「その学びは、ケンジさんの強みです。自分に合った働き方が分かってる。それを理解してくれる企業を探す。それでいいんじゃないでしょうか」
ケンジさんは、初めて少し笑顔を見せた。
ケンジ「なんか......少し楽になった気がします」
ダイキ「ケンジさん、次の一歩として、何ができそうですか?」
ケンジ「まず、自分の経験を、もう一度整理してみようと思います。何を学んだのか、今どういう状態なのか。それを、自分の言葉で語れるようにしたいです」
ダイキ「いいですね」
ケンジ「それから......もう少し、自分に優しくなってもいいのかなって」
カウンセリングが終わる頃、ケンジさんの表情は、来た時よりも明らかに明るくなっていた。
履歴書の空白は消えない。でも、その空白の意味を、ケンジさん自身が書き換え始めていた。