営業一筋15年、突然の異動で気づいた「自分は何者か」

営業一筋15年、突然の異動で気づいた「自分は何者か」

記事
コラム

「このままでいいのか」という違和感


カウンセリングルームに入ってきた彼は、落ち着いた雰囲気の男性だった。スーツ姿で、物腰は丁寧。しかし、椅子に座ると少し緊張した様子で、何度か深呼吸をしてから話し始めた。

クライエント: 「あの...今日はよろしくお願いします」

ダイキ: 「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はどんなことでいらっしゃったんですか?」

クライエント: 「実は...最近、仕事のことで悩んでいて。いや、悩みというか...何て言えばいいんでしょう」

彼は言葉を探すように、少し間を置いた。

クライエント: 「ずっと営業をやってきたんです。もう15年くらい。それなりに成果も出してきたし、評価もされてると思うんですけど...」

ダイキ: 「でも?」

クライエント: 「でも、最近...このままでいいのかなって」

その言葉を口にした瞬間、彼の表情が少し曇った。

突然の異動が引き金に


ダイキ: 「『このままでいいのかな』って思うようになったのは、何かきっかけがあったんですか?」

クライエント: 「ええ...半年前に、ちょっと違う部署に異動になって。今まで法人営業だったのが、新規事業の企画みたいな部署に配属されたんです」

ダイキ: 「それは大きな変化ですね」

クライエント: 「はい。最初は戸惑いました。営業は得意だったんですけど、企画とかアイデア出しとか...そういうのは苦手だと思っていたので」

ダイキ: 「思っていた、ということは...?」

彼は少し驚いたように顔を上げた。

クライエント: 「...あ、そうなんです。やってみたら、意外と面白くて。というか、楽しいんですよ」

ダイキ: 「楽しい?」

クライエント: 「はい。お客さんと話して、ニーズを聞いて、それに合わせた提案をする営業も好きでした。でも、企画の仕事は...もっと自由というか。ゼロから何かを作る感じが新鮮で」

そう言いながら、彼の表情が少しだけ明るくなった。でもすぐに、また曇りが差した。

クライエント: 「でも、それが逆に不安になって...」

「一本の道」を歩むべきという思い込み


ダイキ: 「不安?」

クライエント: 「はい。だって、今まで15年かけて営業のスキルを磨いてきたのに、今さら違うことを始めて...それって遠回りじゃないかって」

ダイキ: 「遠回り...」

クライエント: 「キャリアって、一つの専門性を突き詰めていくものだと思っていたんです。営業一筋、みたいな。それが正しい道だと」

彼は少し苦しそうに続けた。

クライエント: 「でも、今の仕事が楽しいって思ってしまう自分もいて...それが裏切りみたいな気がして」

ダイキ: 「裏切り?」

クライエント: 「今まで営業を頑張ってきた自分への、裏切りというか...」

ダイキは少し間を置いてから、静かに尋ねた。

ダイキ: 「その『一本の道を歩むべき』っていう考えは、どこから来たんでしょうね」

クライエント: 「え...?」

ダイキ: 「誰かにそう言われたんですか?それとも、何か本で読んだとか?」

彼は考え込んだ。しばらく沈黙が続いた。

クライエント: 「...いや、言われたわけじゃないです。でも、なんとなく...そういうものだと思っていました」

ダイキ: 「そういうものだと」

クライエント: 「はい。成功している人って、みんな一つのことを極めているイメージがあって」

タコの腕は、それぞれが「考えている」


ダイキは少し考えてから、不思議なことを尋ねた。

ダイキ: 「タコって、知ってますよね?」

クライエント: 「...タコ、ですか?食べ物の?」

ダイキ: 「そう、あのタコです。実は、タコってすごく面白い生き物なんですよ」

彼は困惑した表情でダイキを見た。突然の話題転換に戸惑っているようだった。

ダイキ: 「タコには脳があるんですけど、実は腕にも神経の塊があって。それぞれの腕が、ある程度独立して判断して動けるんです」

クライエント: 「...はあ」

ダイキ: 「つまり、中央の脳だけが全てをコントロールしているんじゃなくて、それぞれの腕が状況に応じて考えて動いている。これを『分散型知性』って言うんです」

彼は少し興味を示したようだった。

クライエント: 「それぞれの腕が...考えている?」

ダイキ: 「そうです。で、これって人間のキャリアにも当てはまるんじゃないかなって思うんです」

クライエント: 「どういうことですか?」

ダイキ: 「今までのキャリアの考え方って、『一つの専門性を中心に、全てをそこに集中させる』みたいな感じですよね。まるで、脳だけが全部コントロールしているような」

クライエント: 「...たしかに」

ダイキ: 「でも、あなたの中には営業の能力もあれば、企画の能力もある。もしかしたら、他にもいろんな可能性があるかもしれない。それって、タコの腕みたいに、状況に応じて違う部分が活躍するってことじゃないですか?」

彼は黙って考え込んだ。

「手の中にあるもの」から始める


クライエント: 「でも...それって、結局中途半端になりませんか?一つのことを極めないと」

ダイキ: 「『極める』って、どういうことだと思います?」

クライエント: 「え...一つの分野で、トップレベルになるとか...」

ダイキ: 「それも一つの道ですね。でも、もう一つ考え方があって」

ダイキは続けた。

ダイキ: 「今、あなたの手の中には何がありますか?」

クライエント: 「手の中...?」

ダイキ: 「15年の営業経験、最近始めた企画の仕事で感じた楽しさ、お客さんとの対話で培った洞察力...そういうものが、今あなたの中にあるわけですよね」

クライエント: 「...はい」

ダイキ: 「それって、すごく豊かな資源だと思いませんか?」

彼は少し驚いたような顔をした。

クライエント: 「資源...ですか?」

ダイキ: 「はい。で、大事なのは『将来どうなるべきか』を決めることじゃなくて、『今ある資源をどう組み合わせるか』を考えることなんじゃないかって」

クライエント: 「...」

ダイキ: 「営業の経験があるからこそ、顧客視点の企画ができる。企画の楽しさを知ったからこそ、営業のときにも創造的な提案ができるかもしれない。それって、一つを極めるよりも、もっと面白い可能性じゃないですか?」

彼の目に、少しずつ光が戻ってきた。

「失敗」ではなく「学び」として捉え直す


クライエント: 「でも...今まで営業一筋でやってきたのに、違うことに手を出すのって...」

ダイキ: 「何か失うものがあると思ってます?」

クライエント: 「...正直、営業のスキルが落ちるんじゃないかって」

ダイキ: 「なるほど。じゃあ、逆に聞きますけど、企画の仕事をやることで、営業のスキルが上がる可能性はないですか?」

彼は考え込んだ。

クライエント: 「...上がる、というか...視野は広がるかもしれません」

ダイキ: 「それって、すごく大事なことですよね」

クライエント: 「はい...」

ダイキ: 「それに、もし仮に企画の仕事が合わなかったとしても、それって『失敗』じゃないと思うんです」

クライエント: 「失敗じゃない...?」

ダイキ: 「ええ。むしろ『自分には企画は合わないって分かった』っていう、すごく価値のある学びじゃないですか」

彼は目を見開いた。

クライエント: 「...そうか」

ダイキ: 「それに、許容できる範囲でいろんなことを試してみるって、リスクを取りすぎてるわけじゃないですよね。今の会社で、与えられた仕事をやってみるだけなんですから」

クライエント: 「たしかに...」

過去の経験が、今の選択を支えている


ダイキは少し間を置いてから、尋ねた。

ダイキ: 「ちなみに、なぜ最初に営業を選んだんですか?」

クライエント: 「え...なぜ、ですか」

ダイキ: 「ええ。何か理由があったんじゃないかなって」

彼は少し照れたように笑った。

クライエント: 「恥ずかしい話なんですけど...学生時代、あんまり成績が良くなくて。でも、人と話すのは好きだったんです」

ダイキ: 「人と話すのが好きだった」

クライエント: 「はい。だから、営業なら自分の強みが活かせるかなって」

ダイキ: 「それって、すごくいい選択だったんじゃないですか?」

クライエント: 「...そうですね。実際、楽しくやってこれましたし」

ダイキ: 「で、その『人と話す』っていう強みは、今の企画の仕事でも活きてますか?」

彼ははっとした表情になった。

クライエント: 「...ああ、そうか。企画の会議でも、いろんな人の意見を聞いて、まとめるのは得意かもしれません」

ダイキ: 「ね。結局、あなたの根っこにある『人と関わる』っていう部分は変わってなくて、それが営業でも企画でも活きてるんじゃないですか」

クライエント: 「......そうですね」

彼はゆっくりとうなずいた。

予測ではなく、コントロールできることに集中する


ダイキ: 「ちょっと話は変わりますけど、5年後どうなっていたいとか、考えたことあります?」

クライエント: 「ありますよ。よく自己啓発の本とかに書いてありますよね。目標を立てろって」

ダイキ: 「で、どうでした?」

クライエント: 「...正直、全然その通りにならなかったです」

彼は苦笑した。

クライエント: 「5年前に立てた目標、今見返すと全然違う場所にいます」

ダイキ: 「それって、悪いことですか?」

クライエント: 「え...?」

ダイキ: 「予測通りにならなかったけど、今のあなたは5年前のあなたより成長してますよね?」

クライエント: 「...まあ、そうですね」

ダイキ: 「未来って、正確には予測できないんですよ。でも、コントロールすることはできる」

クライエント: 「コントロール...?」

ダイキ: 「今日何をするか、誰と会うか、どんなことを学ぶか。そういう『今』の選択は、あなたがコントロールできますよね」

クライエント: 「はい」

ダイキ: 「で、その積み重ねが未来を作っていく。予測することに必死になるよりも、今できることをやって、それを積み重ねていく方が、結果的にいい未来になるんじゃないかって」

彼は深くうなずいた。

クライエント: 「...そうか。だから、今の企画の仕事も、楽しいならやってみればいいんですね」

ダイキ: 「そうです。で、やってみて何か気づいたら、また次の一手を考えればいい」

「正しい道」はない、あるのは「自分の道」


しばらく沈黙が続いた。彼は何かを考え込んでいるようだった。

クライエント: 「......ダイキさん」

ダイキ: 「はい」

クライエント: 「私、ずっと『正しい道』を探していたのかもしれません」

ダイキ: 「正しい道?」

クライエント: 「はい。営業一筋が正しいのか、それとも企画に転向するのが正しいのか...どっちが正解なのかって」

ダイキ: 「で、どうですか?正解は見つかりました?」

彼は首を横に振った。

クライエント: 「...ないんですね、正解なんて」

ダイキ: 「そうかもしれませんね」

クライエント: 「でも...それって、逆に自由ってことですよね」

その言葉を口にした瞬間、彼の表情が明るくなった。

クライエント: 「営業もやりたいし、企画も楽しい。両方やってもいいんですよね?」

ダイキ: 「どう思います?」

クライエント: 「...いいと思います。むしろ、両方できる環境にいるのはラッキーかもしれない」

ダイキ: 「そうですね」

クライエント: 「そっか...『一本の道』にこだわる必要なんてなかったんだ」

彼は、少し肩の力が抜けたような表情で、深く息を吐いた。

複数の可能性を持つことの強さ


ダイキ: 「タコの話に戻りますけど」

クライエント: 「はい」

ダイキ: 「タコって、一本の腕だけで生きてるわけじゃないですよね。八本の腕があって、それぞれが状況に応じて働く。だから、柔軟に対応できるし、生き延びる力が強い」

クライエント: 「...なるほど」

ダイキ: 「人間も同じだと思うんです。一つのスキルだけに頼るより、複数の可能性を持っている方が、変化に強い」

クライエント: 「変化に強い...」

ダイキ: 「これからの時代、一つの会社に定年まで勤めるとか、一つのスキルだけで食べていくって、難しくなってきてますよね」

クライエント: 「そうですね。実際、うちの会社も事業再編とか多いですし」

ダイキ: 「だからこそ、営業もできて、企画もできて、っていう風に、複数の引き出しを持っている方が、長い目で見たら強いんじゃないかって」

クライエント: 「......たしかに」

彼は何度もうなずいた。

周囲との関わりが、新しい可能性を開く


ダイキ: 「ちなみに、今の企画の部署で、何か面白い出会いとかありました?」

クライエント: 「出会い...ですか」

ダイキ: 「ええ。今まで営業だと会わなかったような人とか」

クライエント: 「ああ、ありますね。デザイナーとか、エンジニアとか...今まであまり話したことのない職種の人と一緒に仕事してます」

ダイキ: 「それってどうですか?」

クライエント: 「...新鮮です。全然違う視点で物事を見ていて、刺激になります」

ダイキ: 「それって、すごく貴重な経験ですよね」

クライエント: 「はい...」

ダイキ: 「で、その人たちとの関わりの中で、また新しい可能性が見えてくるかもしれない」

クライエント: 「新しい可能性...?」

ダイキ: 「たとえば、営業とデザインを組み合わせた仕事とか、エンジニアと組んで新しいサービスを作るとか。そういう、今は想像もしていないような道が開けるかもしれないですよ」

彼の目が輝いた。

クライエント: 「...そうか、可能性って、無限にあるんですね」

ダイキ: 「そうです。で、それって全部、今あなたが持っている資源と、周りの人たちとの関わりから生まれてくる」

これからの一歩


ダイキは時計を見た。そろそろ時間だ。

ダイキ: 「そろそろお時間ですけど、今日の話、どうでしたか?」

クライエント: 「...すごく楽になりました」

ダイキ: 「良かったです」

クライエント: 「今まで、『どっちか選ばなきゃ』って思っていたんですけど、両方やってもいいんだって分かって」

ダイキ: 「ええ」

クライエント: 「それに...未来を予測しようとするんじゃなくて、今できることを積み重ねればいいんですよね」

ダイキ: 「そうですね。で、何か具体的にやってみたいことはありますか?」

彼は少し考えてから、答えた。

クライエント: 「まずは...今の企画の仕事を、もっと楽しんでみようと思います」

ダイキ: 「いいですね」

クライエント: 「で、営業の経験も活かせる場面があったら、積極的に提案してみたいです」

ダイキ: 「素晴らしいです」

クライエント: 「あと...デザイナーとかエンジニアの人たちと、もっと話してみたいですね。どんな視点で仕事してるのか、興味が出てきました」

ダイキ: 「それって、全部『今できること』ですよね」

クライエント: 「はい」

彼は立ち上がり、深く頭を下げた。

クライエント: 「今日は本当にありがとうございました。すごく救われました」

ダイキ: 「こちらこそ、ありがとうございました。応援しています」

対話を終えて


彼が帰った後、ダイキは窓の外を見ながら考えた。

「一本の道」を歩むべきだという思い込み。それは、とても強い呪縛だ。特に、真面目で努力家な人ほど、その思い込みに囚われやすい。

でも、人間の可能性は、もっと豊かで多様だ。タコの腕のように、状況に応じて違う能力が発揮される。それが、本当の意味での「強さ」なのかもしれない。

大切なのは、「正しい道を見つける」ことではなく、「今ある資源を活かして、自分の道を作っていく」こと。

彼は、きっとこれから面白いキャリアを築いていくだろう。そんな予感がした。


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