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以前に縁があってか東京タワーの側の済生会中央病院に御世話になった事があって創立者である北里柴三郎に興味を持ち書籍を購入した事がある。明治の頃に活躍した人物というのは様々な不遇の時を乗り越えて自分の道を切り開いていったという事がわかる。北里柴三郎においてもコッホにおいても不遇の時があったとは歴史の教科書からはわからない事実だ。
渋沢栄一も王子の事業において不遇の時があったという記事があった。
北里柴三郎の書籍内において七言絶句という言葉の中の特に印象に残る1つとして人間窮達君休説という文字がある。
自分がいい時であろうが悪い時であろうがその事に一喜一憂してはならない。特に窮達という言葉が自らの中に響く。
少し自分がいい事があったから、仕事がうまくいったから、いろんな人にちやほやされたから、いい評価をもらったから、そういった事で自らを自賛するのではなく常に遠くの目標を見据えることが大切な事なのではないだろうか。人の上に立つ者は人の範とならねばならない。
人は常に人に見られている。範とは世論だと考えるならリーダーシップ論やその力は非常に大切な学びになる。人と比べて不遇だと感じた時があったとしてもその時期に自らが何ができるか、人に失礼な態度を取っていないだろうか、そういった自分の1つ1つの行動を見直してみる。
北里柴三郎はドンネルと言われた程雷を落とす人物だったようだが、逆にどんなに嫌な事があっても怒る者ではないと教えているのが鈴木貫太郎だ。
自分自身に置き換えるとどうだっただろうか。少しの成功で満足したり、遠くの目標を見据えることができていなかったり、人を蔑んだり嫌な事があっても正しい選択をきちんとできていただろうか。
むしろこういった場面では人の選択が求められる。自分が正しい選択をとれただろうか。自分の判断に自信が持てただろうか。自らが努力を常にしてこれただろうか。若年期の自分は、自分の周りの人の態度ばかり気にしていて、自らが正しいと思った事を自信を持ってやり遂げる事ができなかった。周りの人の対応が必ず正しいとは限らない。だから周りを見渡しそれを基準とするよりはもっと自分がどうすれば正しい方向へまた自分がやりたい方向へ進んでいけるかを思考しそれを実践すべきであった。
そうような考え方が若年期の自分には足りていなかった。できなくても不遇でもそれに対してどのような選択肢をとればよいのかを考える思考能力が足りていなかったし、自分はどうなりたいのかという思考や上昇する為の思考も不足していた。つまりは様々な事に対する努力が足りていなかった。
孝行と努力、この2つの言葉が今非常に重要に感じる。
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