人生をどう生きるか

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コラム
中年になり今までの自分に足りなかったのは何かをよく考える。たくさん思い当たるがまずは率先して物事をこなすリーダーシップ能力に著しく欠けていた。その原因として自分の判断を周りの人の意見を基準にしていた事が原因だと思う。何かの勉強に興味を持つ事を良しとしない人、自分の興味のある分野について否定的な意見があれば自分の考えや行動を、常に周りや集団に合わせるよう修正していった結果、リーダーシップ能力が全く身につかなくなった。例えば学校の学級委員のように何かの団体をまとめる事は非常に大変な事だ。その中で自らの判断を知識や努力を基準にして自信を持って行動できなかった。代表者を率先して自らサポートすること。あるいは提案すること。もう1つ上の場所を見る事ができていなかったような気がする。
ぞうなった原因は自らの努力が足りなかった気がするし、まず人からの人望がなかった事もある。そのような常に人に見られているという行動をとることができなかったこともあるし意識も欠如していた。
人の話をきちんと聞く能力、文章の理解度を上げる事はコミュニケーション能力を上げる事に繋がる。
例えばきちんとしたスピードで会話ができる人程、会話の理解度が早まる。
話すスピードや文章の内容が適切でなかったり、自分の言葉で話せていない人程心地よくは感じない。世の中にはいろいろな人がいるからいろいろな意見があるのは当たり前だ。その中で自らの意見に自信を持ち行動するには常に努力と勉強をする必要がある。その努力により世論がついてくるようになる。自分が正しいと信じて行動したのならばそれでよいのではないだろうか。中にはそれを良しとしなかったりする人も大勢いるがそれは当たり前の事だ。
ただ今まで生きてきた人生の中で今思う事は何も間違っていると思ったり、意見が相違している人に対して真正面から物事にぶつかる必要はなく、ただ少し離れてみればよいだけの事ではないだろうか。その考え方が20代の頃はできていなかった。どんなに屈辱的な事や恥をかかされる事があったとしてもそれをぐっと我慢する事が大切な事だと思えるようになった。そしてその場所から離れまだ自分の選択を考える為に、様々な事を学ぶ。そして自分が正しいと思った行動を修正しながらとっていく。人生というのはこの繰り返しではないだろうか。
世論や判断やスピードは自らが努力していれば自然とついてくる。その努力の方向が違うと思ったならばまた修正して進んでいけばよい。
多分人生というのはそれだけの事だ。自分の人生というのは自分だけのものであり、他人のものでも何でもない。ばどんな困難があったとしても修正、修正を繰り返し自らを正しい方向に導く。その為の努力を絶え間なくしていく。それが人生なのではないだろうか。
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