過去の記憶

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先日移動中の車の中でラジオを聴いていると武田鉄矢さんの話声が耳に入ってきた。古希を過ぎても後悔の念は一生消えず益々増えるばかりだという内容の話をしていたので少し興味を持った。
私は古希にはまだ達していないがそれでも最近は後悔の念に駆られる事も多い。しかし最近になって自分自身を自分で肯定すること、むしろよく頑張ったなと思う事は大切な事だと感じた。
武田鉄矢さんは一例として人間関係の事を話されていた。例えばあの時あの人がああいう態度で接しなければとこっちもこういう態度に出なかったのになという感じの事だ。
私は今の年齢になって、武田さんと同様にあの時自分にもっときちんとした知識があればもっと冷静に自信を持って対応できたのにと思うことが多々ある。
大学で法学部にいっても法律にそんなに興味もないままに法学部に入ってしまったので何の為に法律を学ぶのか、法律を学んで何の職業に就くのかという事があいまいになってしまい、大学が卒業したものの未だに法律の勉強を何の為にしているのかよくわからなった。
しかし、中年になり再度大学に通い学び直しを行い、大学の時に学んだのが中国語だったので、フランス語を、そして経済学を学んでみようと考え勉強していく中でようやく何の為に勉強しているかがわかってきたような気がする。
社会の中は、法律だけで出来上がっている訳ではない。様々な文化や経済や倫理や論理やあらゆるものが混ざりあっている。例えば車だって法律では法定速度を守らなければならない一方で、漫画やアニメの中では首都高や峠を高速で走る漫画が流行っていたりする。文化と法律の境の判断をするのが自らの論理や倫理であったりする。
人は常に学び続けなければどんな人だって漫画だけを読んでいたら首都高を爆走したくなるだろう。どんな分野や学問に触れどういう生き方を自分で選択するかは特に重要な事だ。
それには経済学が面白いと思う。ミクロ経済学も面白い分野だと思ったが厚生経済学は自分にとってとても興味深かった。剣と天秤を持つ女神をみて正義とはなんなのだろうかと初めて司法に近い仕事に携わった時に感じた事を思いだした。
正義とはなんなのかを考えていく事が論理学であり元々心理学に興味があったので論理を勉強する経済学は非常に興味深かった。
社会の中はいろいろな情報で溢れている。大半が企業がお金を払って出した広告を目に入れさせられている。美しい女性や美味しい料理と共に企業をPRしイメージアップを図り集客を図る。その一方で人の嫌がる仕事も世の中には山ほど存在する。そういった者は人の目には触れられずひっそりとすみに追いやられる。
正しい事というのは自らの行動選択が正しいと考えるならきちんとした基礎の学問を勉強すべきことは大切な事だと思う。
なぜなら人々の行動の選択の大半は広告による誘引やあるいは周りにいる人達からの教えによって出来上がっている。その広告や周りにいる人達が本当に正しいかどうかはわからない。むしろ間違っている事の方が多いような気がする。行動の選択基準を自らに置くには歴史を勉強するのが適しているような気がする。

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