何もできなくなったあなたへ-それは脳が命を守るためのセーフモード

何もできなくなったあなたへ-それは脳が命を守るためのセーフモード

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コラム
 うつ病という病に罹患すると、それまで当たり前のようにこなしていた日常の営みが、周囲の想像をはるかにお超えるレベルでできなくなってしまいます。
 健康な時には思いもよらないことですが、生きることの基本機能が少しずつ、しかし確実に止まっていくのです。今回は、病気の医学的な仕組みではなく、当事者の身に現実に起きる「できなくなること」の輪郭を、私の経験を交えながら少し詳しくお話しさせてください。

 まず、目に見えて奪われるのが「体力や持久力」です。
 これは単なる「疲れやすい」というレベルを遥かに超えています。極論を言ってしまえば、社会の標準である「週5日・1日8時間労働」という壁は、限りなく高く、こなすことは不可能に近くなります。
 朝、目が覚めた瞬間から体に鉛が詰まっているかのように重く、午前中は布団から起き上がることすらままなりません。午後になり、なんとか動けるようになっても、体中を支配する鉛のような倦怠感が抜けることはないのです。

 それに伴い、未来の予定を立てることが絶望的に難しくなります。
 うつ病の世界では、明日の自分の体調すら本人にすら全く予測がつきません。明日の朝、動けるのか、それとも泥のように眠り続けることになるのか分からない中で、他者と約束を交わすことは恐怖すら伴う困難な作業です。
 さらに、1日の活動量は、それと同等の時間(あるいはそれ以上)をかけて休養しなければ回復しません。その回復の過程も直線的ではなく、「3歩進んで2歩下がる」ようなもどかしい歩みを、誰もが歯がゆい思いで経験しています。

 また、周囲から最も理解されにくいのが「読解力や識字力の低下」という脳の機能障害です。文字が記号のように見え、文章の意味が頭に入ってこなくなります。
 人によって程度の差はありますが、私の場合は、視線の誘導で作られているはずの「マンガのコマ割り」の順番さえ分からなくなるほどでした。
 うつ病は心が弱いから罹るものではなく、脳という臓器の病気です。脳の処理能力が著しく落ちているのですから、文字が読めず、理解力が落ちるのは当然の帰結と言えます。
 ただ、これだけは声を大にしてお伝えしたいのですが、病気が癒えればこの機能は必ず回復します。ですから、どうか過度に絶望し、心配しないでいただきたいと思います。

 最後に、心を支えていたはずの「好きなこと」への情熱が完全に消えてしまいます。
 大好きだった本、救いだった音楽、日々の活力だった「推し活」さえも、一切楽しめなくなるのです。
 これは、脳が傷ついた自分自身を必死に修復しようと、全エネルギーを回復に回している証拠です。
 パソコンで言えば、最低限の機能だけで起動する「セーフモード」のような状態になっているため、感情を動かしたり、物事を楽しんだりする余白が脳に残されていないのです。

 そして、このように心身の自由がすべて奪われ、暗闇の中で身動きが取れなくなってしまった時、心には深い絶望が押し寄せます。
 これほどまでに何もできなくなった自分に価値を見出せなくなり、家族や社会の「お荷物」になってしまっているのではないかという強い罪悪感に苛れるのです。
 朝が来るたびに「今日もまた、何もできない1日が始まるのだ」という絶望の波に呑まれ、「いっそ消えてしまいたい、終わらせてしまいたい」という希死念慮が、一度は頭をよぎることも決して珍しいことではありません。
 それは自ら死を望んでいるというよりも、この果てしない苦痛や焦燥感から、ただただ解放されたいと願う、追い詰められた脳が発する限界のサインなのだと思います。

 うつ病はあらゆる「できること」を一時的に奪い去っていきます。しかし、それは決してあなたの怠けでも、心の弱さでもありません。
 すべては傷ついた脳があなた自身を守るために、必死にブレーキをかけてくれている防衛反応なのです。

 何もできなくても、ただ息をしているだけで今は十分です。3歩進んで2歩下がる、そのもどかしい歩みのままで構いません。
 文字が読めない日も、起き上がれない日も、どうか自分を責めないでください。
 あなたの脳がゆっくりとエネルギーを満たし、また物語を楽しみ、明日を心待ちにできる日が訪れるまで、今はただ、その歩みを休める自分に「それでいいんだよ」と寄り添ってあげてほしいと願っています。

                          沙門蒼俊   合掌
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