不条理。
人生には、いくら抗っても変えられない現実があります。
そのような時は、早く諦めて「仕方がない」と受け入れ、次のステップへ動き出すほうが賢明かもしれません。
執着を手放すことで、私たちは「生まれてきてよかった」と思える瞬間を増やし、本当の幸福感を得られるのではないでしょうか。
私たちが知らず知らずのうちに囚われ、手放せずにいる「4つの真実」があります。
1. 死
世の中は常に移り変わる無常なものです。自分自身はもちろん、愛する親や子どもであっても、いつかは必ず死を迎えます。死は誰にでも平等に訪れるものであり、その形は違えど、人間がそこから逃れることは決してできません。
2. 孤独と無理解
「どうして分かってくれないのか」と他人に求めてしまうことがありますが、自分のことを完璧に理解できるのは、結局のところ自分しかいません。人間は本質的に孤独な存在なのです。
3. 格差と限界
能力、才能、劣等感、そして貧富の差。これらは脳内の神経伝達物質の悪戯なのかもしれませんが、確かなことは分かりません。
ただ一つ言えるのは、人間は必ずしも「幸せになるため」に進化してきたわけではないということです。
それは国家の成り立ちを見ても同じかもしれません。感情の機微や本能の理不尽さを、あまりに深く追求しすぎるのは、時に自分を苦しめるだけになってしまいます。
4. 不条理
現実世界で私たちは、しばしばこの言葉に直面します。これほど深く、答えのない問題はありません。
不条理とは、自分に安心や幸福をもたらしてくれるとは限らないものです。かといって、自分が不幸や怒りに震えている一方で、誰か別の人間がその裏で幸福に満ち足りているのかといえば、そうとも限りません。
誰にとっても納得のいかない結果をもたらすこと、そして、その理不尽さが世の中には往々にして「当たり前に存在する」という事実こそが、不条理の本質なのです。
文学に見る「不条理」へのアプローチ
日本の劇作家で、不条理劇の旗手として知られる別役実は、1966年に戯曲『マッチ売りの少女』を発表しました。
物語は、平穏に暮らす初老の夫婦のもとに、自らを「マッチ売りの少女」と主張する女とその弟が突然上がり込んでくることから始まります。
女は夫婦に対して、身に覚えのない「過去の責任」を理不尽かつ執拗に追及し、彼らの平穏な日常をじわじわと崩壊させていきます。
登場人物たちの言葉や感情は奇妙に噛み合わず、本来ならあり得ないはずの虚構が、いつの間にか事実として受け入れられていく。
そこには、不条理演劇特有の不気味さと、どこかおかしな滑稽さが漂っています。
一方で、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが書いた元の童話『マッチ売りの少女』自体は、実は不条理劇ではありません。
貧しい少女が誰にも助けられずに凍死する結末は、現代の感覚から見ると理不尽で「不条理な現実」そのものに映るでしょう。
しかしここには、当時のデンマークにおける貧困問題や社会の冷酷さを批判する意図があったとされています。
物語の最後で、少女は亡くなった祖母に抱かれて天国へ昇ります。これは「現世の苦しみから解放され、神のもとで救われる」という19世紀当時の宗教的な救済観に基づいています。
そのため、存在の無意味さや世界の支離滅裂さをそのまま描く「不条理」とは本質的に異なります。
究極的には「宗教に救われている」というところが、別役実の作品とは決定的に違います。
アンデルセンの描いたマッチ売りの少女は、最後の最後で、この世界の「不条理」を回避しているのです。
別役実の描く剥き出しの不条理と、アンデルセンがもたらした宗教的な救い。そのどちらに触れるとしても、私たちがこの世界の不条理や限界をありのままに受け入れたとき、初めて目の前にある小さな幸せに気づき、心穏やかに生きていけるのかもしれません。
沙門蒼俊 合掌