なぜ生きることは割に合わないのか ― 悟りと脳のウェルビーイング
生きるということは、基本的には苦しく、決して割に合わないものなのかもしれません。 「周りの人はこの苦しさを分かってくれない」と感じる時、私たちは深い孤独に陥ります。 私自身、生きることが無条件に素晴らしいことだとは考えていません。 かつて多くの宗教、例えば真言宗を除く仏教宗派の底流には、「現世が辛い(修行をする)のは来世で幸せになるためだ」という固定観念が存在していました。 これは現世の苦しみを無理に肯定するための論理ですが、そうした教えに触れるとき、一つの疑問が頭をよぎります。 「では、今すぐ死んでもいいのだろうか。死ぬことは許されているのだろうか」と。 もし社会が「死の自由」を完全に許容してしまえば、私たちの脳裏には常に自殺の念が付きまとうことになります。 さらに深刻なのは、その自由を曲解し、他者を巻き込む「道連れ」のような悲劇を引き起こす者が現れる点にあります。 ゆえに、結局のところ自ら命を絶つことは許されておらず、私たちはこの苦しい現世を生き抜くことを義務づけられているのです。 しかし、なぜ私たちはこれほどまでに生きることを「苦しい」と感じるのでしょうか。その答えは、私たちの「脳」という臓器の仕組みに隠されているのかもしれません。 そもそも脳は、私たちが過酷な環境を生き延びるために、直面する問題を解決すべく進化してきた器官です。 危険を察知し、不安を感じ、それを回避するために合理的な行動をとる。その生存本能のシステムこそが脳の役割です。 つまり、脳は私たちを「幸福にするため」ではなく、ただ「生き延びさせるため」に進化してきた。だからこそ、普通に生きているだけでストレス
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