「地獄」という言葉を聞くと、多くの人は炎に焼かれるような激しい痛みを想像されるかもしれません。
しかし、うつという病がもたらす地獄は、それとは正反対の「無」に近い場所にあるのです。
そこは、すべての色彩が失われた世界です。かつて心を躍らせた宝物はただの無機質な物体に見え、大好きだった料理も、口の中で砂を噛んでいるかのように味を失ってしまいます。悲しいはずなのに涙が出ず、嬉しいはずの場面でも心が微塵も動きません。感情のスイッチが壊れてしまったその場所で、人は「自分が人間ではなくなってしまった」という、底知れない孤独に飲み込まれていくのです。
この地獄が何よりもお辛いのは、本来一番の味方であるはずの「自分自身」が、最大の敵になってしまうことでしょう。
外側に敵がいるのなら戦いようもありますが、敵は自分の頭の中に棲みついています。脳内では24時間休むことなく裁判が開かれ、「お前はダメだ」「生きているだけで迷惑だ」という冷酷な判決が下され続けます。そこには、一時の逃げ場もありません。
気力を振り絞ろうとしても、体はそれに応えてくれません。それはまるで、バッテリーが完全に切れてしまったスマートフォンのようです。指一本動かすことさえエベレスト登山に匹敵するほどの重労働に感じられ、鉛のように重くなった体が、ベッドの奥深くへと沈み込んでいきます。
そして、この地獄の最も恐ろしい点は、「時間が止まってしまう」感覚にあります。うつの暗闇の中にいるとき、人は「未来」という概念を失ってしまいます。今この瞬間の苦しみが一生続くという確信だけが、出口のないトンネルのように目の前に横たわります。
しかし、こうした深い病苦の淵にあるとき、古来より人々が「地獄に仏」として縋(すが)ってきた存在がいます。それが、薬師如来(やくしにょらい)です。
正式には薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)と呼ばれるこの仏様は、東方浄瑠璃世界の教主であり、病気を平癒し心身の健康を守る「現世利益」の仏様として篤く信仰されてきました。
その左手に「薬壺(やっこ)」を携えているのが特徴で、まさに今この瞬間の苦しみから人々を救い出す存在とされています。
もし今、あなたがこの灰色の世界に立ち尽くしていらっしゃるのなら、どうかこれだけは忘れないでください。その絶望的な景色は、あなたの性格や弱さが作り出したものではありません。「脳のエネルギー切れ」という病気の見せている、恐ろしい幻覚に過ぎないのです。
薬師如来が薬壺を携えて寄り添うように、現代には医学や休息という名の「薬」があります。この地獄には、必ず終わりがあるのです。
やみくもに、仏教を信じなさい、と言いたいわけではないのです。現代科学も、ちゃんと信じて、その上で、宗教が「寄り添うためのツール」として拠り所となるのだと、蒼俊は思うのです。
沙門蒼俊 合掌
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