高齢になってからの生き方が大きく分かれます。
勤務者だった人の場合、定年後は無職が多いです。
ニュース等でも、職業:無職、と表現されます。
90歳くらいでも働いているケースもあります。
企業に勤務している場合、自営の場合などです。
勤務している場合は、多くは職人です。
または特殊な技術がある人が多いです。
自営業者は定年はありません。
自分が働けるかどうか、自分の意思で決めます。
他人に左右されません。
生き方の差、と感じます。
不動産の売主には、必然的に高齢になった人が多くなります。
意思表示ができる時に、自宅の処分を考えるケースです。
良い事です。
意思表示ができなくなると、基本的に多くの人に迷惑をかけやすくなってきます。自分の意思で決めることが大切です。
売主の中には、企業を定年退職し、現状は無職の人が一定数います。
ある程度の役職にいたのか、いつまでも当時の感覚で全く関係のない相手にも
当時の対応をする人がいます。
肩書がない=「ただの人、しかも無職」という事が理解できないタイプです。
酷い場合は、退職者証をわざわざ見せる人もいます。
自分では「どうだ、すごいだろ」と思っているのかもしれませんが、逆です。
「恥ずかしくないのか」と感じます。
肩書が消えると、微力すらないことに気づかないケースです。
現状を分析できない、看板に支えられてきただけ、という事実を知ることができない人もいます。
哀れに思います。
この世に何をしに来たのか。
この問いに対して考えたことがない、のだと思います。
人生を楽しむこと、これが目的の場合もあります。
否定はしませんが、私は正しいとは思いません。
後悔しないことを祈るのみです。
なぜ、肉体を与えられたのか、何をしにこの世に来たのか、この意味を考えるべきと思います。
私は、この世界に魂を鍛えるために来た、と知りました。
そのため、呑気にこの世界を楽しもう、とは思えません。
人間界=3次元は、肉体がないと活動できません。
天から許しを得て人体を「貸して」頂いたことを知ると、楽しもうという考えが消えました。
トレーニング場=人間界=3次元と私は気づきました。
だから、制限時間=寿命まで鍛えます。
ボケ、これは最悪と思います。
鍛えてこなかったから、ボケたと私は感じます。
怠け者の証と思います。
どこかの施設で、他人の世話になり、「今日も死ななかった」という天に対する謀反のような無様な姿は決してしない、と心掛けています。
各人、この世界に転生できた理由と目的があります。
全員、異なります。
気づいて、達成した人は、元の世界か上の世界=次元に行くことになるはずです。反対に怠けてきた者は、良くて「出直し」、ダメな場合は今よりも低い次元に行くことになるような気がします。
やはり、生涯の仕事があるかどうか、重要に思います。
何のために肉体を与えられたのか、理由を考えた人はどのくらいいるでしょうか。
生き方は、各人が決めることができます。
ただし、時間を巻き戻すことはできません。
天眼通の力があったとしても、天が認める理由がないと行うことはできません。
肉体を返却する時=死亡時、後悔しない生き方をすべきと思います。
それには、やはり仕事が重要と感じます。