「暇だな」と言った日の午後

「暇だな」と言った日の午後

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コラム

―何かしたい。でも、何がしたいか分からない時期―

午後3時。

母親が洗濯物をたたんでいると、リビングのソファに寝転んでいた息子が、ぽつりと言った。

「暇だな」

母親は、手を止めそうになった。

その言葉を聞いたのは、何か月ぶりだっただろう。

不登校になってからの息子は、暇などと言わなかった。

朝は起きられない。

昼は眠い。

夜はゲーム。

話しかけても「別に」「知らない」「うるさい」。

学校の話をすると黙る。

将来の話をすると部屋に戻る。

母親はずっと、息子が何を考えているのか分からなかった。

けれど、その日、息子は確かに言った。

「暇だな」

母親の胸の中に、期待が広がった。

もしかしたら、動き出すかもしれない。

どこか行けるかもしれない。

勉強も少し始められるかもしれない。

でも、母親は言葉を飲み込んだ。

以前なら、すぐに言っていた。

「じゃあ、フリースクール見学してみる?」

「塾の資料、取り寄せようか?」

「勉強、少しやってみる?」

けれど、何度も失敗していた。

息子が少し前を向くたびに、母親が先回りしてしまう。

そのたびに息子は、「やっぱりいい」と引っ込んでしまった。

だから、その日はただ聞いた。

「そうなんだ。何かしたい感じ?」

息子は、天井を見たまま言った。

「分かんない」

母親はうなずいた。

「分かんないけど、暇なんだね」

息子は少しだけ笑った。

「うん。なんか、ゲームも飽きた」

その言葉に、母親は泣きそうになった。

ゲームをやめてほしかったわけではない。

でも、息子の中に少し余白が戻ってきたことが分かった。

何かをしたい。

でも何がしたいか分からない。

外に出たい気もする。

でも出るのは怖い。

誰かに会いたい気もする。

でも会うと疲れそう。

その揺れの中に、息子はいた。

夕方、母親は買い物に行く前に言った。

「コンビニ行くけど、何かいる?」

いつもなら「別に」と返ってくる。

でも、その日は違った。

「俺も行こうかな」

母親は、できるだけ普通に答えた。

「じゃあ、行こうか」

たった10分の外出だった。

息子はずっとフードをかぶっていた。

近所の人に会わないように、少し遠回りをした。

コンビニでは、おにぎりとプリンを買った。

帰り道、息子は言った。

「疲れた」

母親は答えた。

「久しぶりだもんね」

その日、何かが大きく変わったわけではない。

翌日また昼まで寝ていた。

その次の日は、少し不機嫌だった。

でも、母親は知っていた。

「暇だな」は、退屈の言葉ではなかった。

回復の入り口だった。

子どもが「何かしたい」と言い始めたとき、親は嬉しくて走り出したくなる。

でも、その時期の子どもは、まだ自分でも自分の気持ちを整理している途中だ。

親ができるのは、予定を決めることではない。

その小さな言葉を、つぶさず、急かさず、そっと受け止めること。

「暇だな」と言えた午後。

それは、息子の心に少しだけ風が通った日だった。
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