生きることは本来、もっと楽で、もっと心地いいものです。
疲れたら眠れる。
水を飲めば落ち着く。
呼吸が深くなると、身体が緩む。
生命はいつも、楽な方向に戻ろうとしています。
それなのに、恒常的に苦しい人がいます。
その苦しさの多くは、外から来ていません。
「こうあるべき」
ストレスは外から受けるものと教えられます。
しかし実際は、いつの間にか自分の中に入った「こうあるべき」で自分で作ります。
親から、学校から、職場から。
気づかないうちに積み上がって、いつの間にか自分の基準になっています。
その「こうあるべき」に従うとき、身体は先に反応します。
たとえば、喉の奥が少し詰まる。呼吸が浅くなる。胸の前が固くなる。
頭ではわからなくても、身体のほうは固まる。
逆に、自分の感覚を通した選択をしたときは違います。
深呼吸が一度入る。
肩が下がる。腹の底がじわっと温かくなる。
派手な快楽ではなく、戻っていく感じです。
「こうあるべき」が強くなるほど、この身体の声が聞こえにくくなります。
それ、誰にもバレないならやりますか
自分の選択に「こうあるべき」が混ざっているかどうかを見分ける問いがあります。
それ、誰にもバレないならやりますか。
「やらない」が出るなら、動機の主成分は承認です。
誰かに良く見られたいから、やっている。
「やる」が出るなら、少なくとも承認だけではない。
ただし、承認そのものは悪くありません。
あったら嬉しい、なくてもやる、という承認なら問題ない。
問題になるのは、否定されると動けなくなる承認です。
もう一つ。
否定されると分かった瞬間に、その選択の熱が消えますか。
消えるなら、承認が燃料になっています。
消えないなら、承認が混ざっていても芯は別にあります。
小さく練習する
問いが分かっても、いきなり大きな選択には使いにくい。
今日食べるものを、誰の目も気にせず自分の感覚で選ぶ。
そして今日やらないことを一つ決める。
嫌だからやらない、そんなのでいい。
快を選ぶだけだと言い訳できます。
不快を切ると、嘘がつきにくい。
この小さな反復が増えると、「こうあるべき」の音量が下がって、自分の音量が上がります。
大切にしたい自分の感覚
外の正解が崩れても、戻る場所は作れます。
自分の感覚を裏切らない、という基準です。
それが手に入ると、「こうあるべき」はもう、あなたを脅しで動かせなくなります。
自分の感覚に戻ることは難しくはありません。
身体が先に知っているから教えてくれます。