彩さんは整った顔立ちだった。
服の選び方にも隙がない。
思ったより背が低かった。
身長は書いてあったのに。
初デートは駅近くのカフェだった。
人気がある店。
予約を受け付けていないので、早めの時間に待ち合わせした。
最初に向かい合った瞬間、体が固まりそうになった。
挨拶してから「緊張で体が固まったよ」と言った。
「ふふ、そんな風には見えないけど。私の方が緊張してると思うな」
肩の力が少し抜けた。
相手のことを見ろ。聞くだけでいい。
興味を持て。
否定するな。
そんな言葉が頭に浮かんでくる。
「最近、仕事が立て込んでいて」と彩さんが言った。
「それって、どういう感じ」
「えっ、そうだな——なんか、自分の仕事が終わっても他の人のが残ってて、帰れない感じ、みたいな」
「それ、しんどいですね」
「そうなんですよ、ちょっとね」
一時間半、僕はほとんど話さなかった。
でも彩さんは話し続けた。
楽しそうに話す彩さんを見ていると、胸のあたりが少し緩んだ。
そのくせ、頭の隅に純さんの声が聞こえてくる。
デート中に次の日を決めろ。
その言葉が、胸を重くさせた。
帰り際、「気になるパスタ屋さんがあるんですよ」とスマホの画面を見せた。
「わぁ行ってみたい。」
「いつにしようか」
電車の中で、窓に映る自分の顔を見た。
今日、僕はほとんど話してない。なのに。
純さんへの報告をしたのは、その三日後だった。
次のデートも誘えた、と言った。
「たまたまだ」
純さんは言った。グラスを回しながら、視線だけこちらに向けて。
少し、傷ついた。
傷ついたのに、正しい返事を探してしまった。
彩さんはこまめにメッセージをする人じゃなかった。
僕はどちらかと言えばマメな方だ。
送りたい方だ。
彩さんが送ってこない限り送らなかった。
何か違う気がした。
でも、せっかくうまくいっているのに壊したくない気持ちが勝った。
それから数回のデートを重ねた。
はじめて彩さんの部屋に行った時は緊張したけど、その後は緊張感もなくなった。
いつも楽しそうに話してくれる。
彩さんが笑うたび、僕は安心してしまった。
安心している自分が、どこか他人みたいだった。
「ねぇ、どこかに旅行行こうよ」
「うん、いいね。今度お互いどこに行きたいか発表しよう」
帰り道、電車の中で思った。
楽しいのに、僕の話が一つも増えていないことに気づいた。
その夜、純さんに言った。「彩さんとは、会うのをやめます」
「そうか」
せっかく形になったのに、すいません、と言ったら、俺のためにやってんのかと言われた。
それは絶対に違う。僕のためだ。
「次は、失敗しないようにします」
純さんは興味なさそうだった。
帰りにバーテンダーが言った。
「桐島さん、いつもありがとうございます」
何げなく聞こえた言葉だった。
でも純さんの会話が一拍だけ止まった。ほんの少し。
気のせいかと思ったが、気のせいじゃなかった。
帰り際、外に出た後で聞いた。
「苗字、あまり好きじゃないんですか」
役名みたいだな、と一瞬思った。
「名前にしろ」
純さんは正面を向いたまま、それだけ言った。
その横顔だけ、照明が届いていなかった。