世界中のすべての人が納得する理論や教えは、存在しません。
人が何かを語るとき、そこには必ず前提があります。
その前提は、多くの場合、自分で選んだものではありません。
親から聞いた言葉。
学校生活で知った基準。
社会の中で「無難」とされてきた考え方。
それらを集めて、いつの間にか
「これが常識だ」
「これが正しいはずだ」
と思い込んでいく。
その前提に立つと、人は安心します。
大勢の味方がいそうな場所に身を置いている感覚になるからです。
そして、その安心を背景に、他人を批判することができます。
自分の言葉ではなく、常識の言葉を借りて。
でも、その常識が、どれほど確かなものかを
自分で確かめたことがある人は、ほとんどいません。
時代が変わると、常識は簡単に入れ替わります。
昨日まで当たり前だったものが、今日は通用しなくなる。
歴史を見れば、それは何度も起きています。
人が苦しんできたのは、変化そのものより、
「前提が崩れること」でした。
それでも人は、自分の見たいように世界を見ます。
その判断材料がどれほど曖昧でも、疑わずに使い続ける。
だから、他人がどうかは自分の前提には必要ない。
違う考えを持っていたとしても、
批判するか、ただ自分は選択しないとして語るかで、
使われるエネルギーはまったく違います。
反対と、ただ肯定しないことはまったく違う。
正しそうに見えても、
反対を軸にすると、視野は自然と狭くなります。
自分が何を大切にしたいのか。
どんな前提で生きていきたいのか。
共感できないものと同じ土俵に上がる必要はないと考えます。