私たちは、日々「みんなが選んでいる」という感覚に包まれて生きています。
大きいほうがいい。
多いほうがいい。
損より得。
いつの間にか、それは“正しさ”になり、
誰もがその物差しを疑わなくなっていく。
でも、それは本当に正しいのでしょうか?
あるいは、ただ「安心できるから従っているだけ」
そんな場合もあるのではと思っています。
■ “みんなが選ぶもの”に潜む盲点
電車の中で、ふと耳に入った会話。
「LCC(格安航空会社)ってやっぱり不安。機体も小さいし…」
たしかに、大きな飛行機には安心感があります。
でも、機体のサイズと安全性には明確な因果関係はない。
実際には、LCCの多くも大手と同等の安全基準を満たしています。
それでも、「大きい=安全」「安い=不安」という印象に、
私たちは無意識に引っ張られる。
それは本当に“感性”の判断でしょうか?
それとも、“誰かが安心したあとの空気感”を感じているだけかもしれません。
■ 舌切り雀と現代のレビュー文化
昔話『舌切り雀』。
欲深いおばあさんは、「大きいほうが得」と信じ、大きなつづらを選び、災難に遭う。
何気なく読んでいると同じようなことだと気づきにくいですが、
私たちも、日常で繰り返していないだろうか?
・ランキング上位の商品を「間違いない」と買う
・レビューが多いレストランを「外れない」と予約する
・「フォロワーが多い人」の発言を無条件に信じる
“多数派”が選んでいるというだけで、
その瞬間の「わたしの感性」は、後回しにされる。
■ “今ここ”には、例外がある
すべての瞬間は、“今だけ”の力学に満ちている。
湿った空気、重たいまぶた、店先で流れていた音楽──
そのとき、その場にしかない情報が、
「今のわたし」に響くものを教えてくれている。
一般的には正しいことでも、
“今この場”では、まったく逆かもしれない。
その例外に気づけるのは、知識ではなく、“感性”です。
でも、多数の声に寄りかかっていると、
その微細な内なる動きを、見逃してしまう。
■ 「この判断は、今のわたしに合っているか?」
多数派に従うこと自体は悪くありません。
ただ、それを「絶対」としてしまうと、
世界が“誰かの感性”でしか見られなくなる。
だから、たった一つでいい。
こんな問いを、そっと自分に返してみてください。
「この判断は、“今のわたし”に、本当に合っているか?」
この問いが、思考の軸を「世間」から「自分」に戻してくれます。
■ “わたしの物差し”で、世界に触れてみる
流行の服を選ばなくてもいい。
「全米が泣いた」映画じゃなくてもいい(笑)
自分の肌に触れる空気、心にふと引っかかる小さな違和感──
その“揺らぎ”にこそ、感性の目覚めがあります。
多数派の道は、たしかに安心かもしれない。
でも、それを越えて自分の感性で世界を見たとき、
世界はもっと立体になり、「わたし」はぐっと近くに現れてくるのです。
共同生活のルールは多数決でもいい、
でもわたしの人生に多数決はいらない。
その小さな違いが、人生の質を大きく変えていきます。