聖ジュネ 否、聖鶴瓶

記事
コラム
フーコーは鶴瓶を知らなかったし、ましてiphone12など念頭になかった。

権力や政治の眼差しが高見的で監視、見張ることであり、見られる我々は搾取され、管理される家畜のような存在でしかなかった。

冷たい眼差しに対して睨み返す、力対力の闘争劇を繰り広げるのもまた人間として風情のある営みなのかもしれない。

しかしながら、現代に生きる我々は冷たい視線に対してiphone12で「見せつける」作り笑いと乱痴気騒ぎで撹乱し、しなやかに回避する。

フーコーはジュネを賛美し「聖ジュネ」と称えた。
私はテレビ東京を出禁になった頃のあのモジャモジャ頭の鶴瓶を「聖ツルベ」と崇めている。

だって、くだらない闘争をユーモアでぶっ壊してくれたんだもの。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら