学ぶという事

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コラム
真似をされる事を極端に嫌う人を見かけました。
自分の渾身の文章を他人があたかも己が書いたようにして、名前もなんだか似ているといって強めの表現をしていました。
その投稿を見て思ったんです。
学ぶってなんだろう、と。
人生のテーマというと少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、成長をする為に必要な「過程」。その経過の経験になる「学習」。
タロットも、西洋占星術も何でもそうですが、学習をしないと知識も経験も身につきません。
知識や経験を身につけるためには、先駆者の知識が必要です。先人が残した歴史なしには参考文献がありません。
また、「学ぶ」の同語源には「まねぶ」という読み方があります。読み方の通り、真似をして学習し、己の糧になるという意味です。
もちろん、他人の成果物を無断で利用したり、まるで自分が作り上げたかのように振る舞うのは違います。
けれど、誰かの表現やスタイルに憧れを抱き、意識的・無意識的に似たような言葉を使ってしまうのは、学びの途中では自然なことではないでしょうか。
そこに「尊敬」や「憧れ」の気持ちがあるのなら、それはむしろ、次世代に繋がる大切な橋渡しのようにも感じます。
最初は真似かもしれない。だけど、学んだことを何度も咀嚼していくうちに、やがて「自分の言葉」や「自分の視点」に変わっていく。
誰もがそのプロセスを経て、自分の表現を手に入れていくのだと思います。
だから私は思うのです。
真似されたと感じた時、その人はまだ学びの途中にいるのだと。
怒る前に、ほんの少しでも、その成長の萌芽を見つめられたら、きっと世界はもう少し優しくなるのではないでしょうか。
そして、自分自身も忘れたくないと思うのです。
誰かの言葉に支えられ、誰かのやり方をなぞって、ここまで来たことを。
今、誰かにとっての「真似される存在」でいられることの意味を。
そう思ったら、真似をされることも、学びの連鎖の中にあるのだと、少し誇らしい気持ちにもなるのです。
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